カイワレ巻き巻き
先日の台風以降ほのかに感じていた秋の気配が今朝は濃厚に感じられた。
今日は暦の上では重陽である。
またの名を菊の節句と呼び食べ物を大切にすると言う五節句の一つだ。
私は花にはてんで疎いのであまり名前を知らないが菊はさすがに分かる。
その昔旅行先で菊人形展をやっていたのでふらりと中に入ると濃厚な花の香りと人形にこれでもかと装飾された菊が見事だった。
そういえば私の祖父は菊の花を育てていた。
秋口になるとその鉢植えを持って公民館でお披露目会を開いていた記憶がある。
ある日庭で私と兄がふざけて相撲を取っていた時に鉢植えにぶつかってしまい真ん中からぱっくりと割れてしまったことがあった。
卑怯者の私は証拠隠滅を図ろうと思ったが自体は泥沼に向かっていく一方だった。
そのうちに兄がこうなったら俺に任せとけと言って祖父が住んでいた離れに行って全てを自分のせいにして罪を被ってくれた。
怒らせるととっても怖かった兵隊帰りの祖父だったが兄が待っ正面から謝った事で逆に正直なのはえらいと褒められていた。
私はバツが悪いのでもじもじしていたが祖父はとっくにお見通しでチラリと私を見るとこりゃ戻すのに手間がかかりそうじゃと言った。
それで祖父の手ほどきを受けて鉢の植え替えを一生懸命やった。
後で兄にお礼を言うと気にすんなと一言だけで済まされた。
菊の花というと真っ先にそのエピソードが思い浮かぶ。
今日は語呂が良い日なので他にもいろいろな記念日になっている。
例えば健康美脚の日やロールケーキの日など九にちなんだものだ。
そんな中でおっこれは面白いかもと思ったのは手巻きずしの日である。
どこら辺が九に関係しているかというと、手巻き寿司は巻く時にく(9)るく(9)るとするからなのだそうだ。
手巻き寿司は子どもの頃に誕生日や子どものお祝いによく食卓に上っていた。
ネタは母がスーパーの鮮魚店に特注で注文していたので普段目にする事のないイクラやウニ、鯛、マグロなどがズラリと並んだ。
他にはカニカマサラダや卵焼き、一口ハンバーグやウインナーなどの子供向けのメニューも抜け目が無かった。
母が酢飯を作る時は率先して手伝ったものである。
熱々の炊き立てのご飯にすし酢を混ぜてうちわで扇ぐのは力仕事だったがご褒美にまだ温もりの残っている酢飯をつまみ食いさせてくれるのが楽しみでワクワクしていた。
酢飯をお皿に取り分けてテーブルの真ん中にバリエーション満点のネタを箸で取ってから海苔でクルクル巻いて醤油につけてかじると海苔がパリリとして新鮮な魚の味が楽しめてとても美味しかった。
私が好きだったのはマグロと沢庵を一緒に巻いたまぐたく巻きで、父からその味を教えてもらった。
マグロのちょっと鉄っぽい風味が沢庵で中和されてコリコリとした歯ごたえも良くて何個も同じものを作ったものである。
他にはウニと醤油で甘辛く煮つけた牛バラ肉を合わせた変化球も大好きだった。
ウニは貴重品で家族全員で遠慮し合って食べていたが食い意地の張っていた私はみんなウニ食べないの?とわざとらしく演技をしたものである。
祖母が私の分を食べるかい?と聞いてくるので、うん!と元気よく答えてウニ牛をモリモリと食べた。
最近では少しブームになっているウニクにも通じる豪華メニューでこれを編み出した私には先見の明があったというのは少し言い過ぎだろうか。
そうだ、手巻きずしの日には副菜に必ず茶わん蒸しが出てきた。
具材は鶏肉とかまぼこ、魚の切り落としと銀杏だった。
私は母の作る茶わん蒸しがことのほか好きでこれも喜んで食べた。
銀杏がヒスイ色の時は晩秋で黄緑色の時はそれ以外に時期だと茶わん蒸し一つで季節を感じたものである。
ある程度食べてみんなの手が止まった頃に私の仕事が待っていた。
それは余った刺身を漬けにする事で醤油と酒、ゴマ、大葉を混ぜ合わせたタレに漬け込む重要な役目だった。
これは誰に習ったわけでもないが小学生の頃から不思議と私の役割だった。
味付けも勘でやっていたが大失敗したことは無い。
一晩漬けこんだ刺身を翌朝に炊き立てのご飯で食べるのはまた格別だった。
そんな事を考えていたら今日はお寿司が食べたくなってきた。
明日のお昼に久しぶりにお寿司屋さんに行こうかな。
土曜日でもランチをやっているお店があるかなぁ。
ようしちょっと探してみるか。
おやおやこれってもしかして食欲の秋かしら。
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