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野球選手の人権

 ここ2週間ほど、ジャイアンツは決して好調ではなく、そうなると耳に入れたくないような言葉や文章がテレビやSNSに溢れてくる。その言葉は決してリアルで、対面で、その人に浴びせてはならないような言葉ばかりだ。

 昨日は某有名解説者が「この選手にも親族家族がいるだろうからあまりアレだが、うまくいかなくなると逃げる性格」と発言した。Twitterは瞬く間に荒れた。解説者の名前がトレンドに挙がった。
 監督もまた、試合後の談話で選手個人を名指しで批判することが増えた。監督も余裕がないのかもしれないが、新人監督ではないのだから、どう話したらどの陽に影響が波及するか知らないわけではないだろう。

 この人たちの共通点は昭和のお化け番組くらいの視聴率をとっていた頃の野球選手だと言うことだろう。実力があったからとはいえ、もてはやされ、昭和の男の子の憧れだったはずだ。ところが時代は流れ、昭和は平成になり、平成に生まれた選手が今は中心選手だ。受けた教育も、子どもを支える風潮も違う。困り事や痛みは我慢しろとか、自分の弱さが招いた結果だとか、問題は本人にあると言う根性論ではなく、何か問題が起きたときはそこに至った環境や、次頑張ればいいよという世界だ。名指しで調子の悪かった者を晒すなどと言うことは、受けた方の思い一つでハラスメントとなる。まして親類縁者が聞いたら不快だろうと言うことを前置きしてるんだから、これは由々しき事態だ。

 Twitterで炎上した解説者にはその情報が行ったらしくバツが悪いようなコメントをしていたらしいが、私はその解説を聞くに堪えず、無声映画のように音声なしで以後の試合を見ていた。

 一般社会で言うと、「今日、もちこがこう言うミスをしました。使えないとは思ったけど困ったもんです」と自分がいる前で終礼で晒されるようなものだ。これは私が労基署に行って訴えてもいいレベルだ。
 ところが野球選手は個人事業主の集まりだ。「監督の言葉で傷ついた。世間に晒された」とどこに言うのだろう。NPB選手会もあるが、選手会の人だって泥はかぶりたくないだろう。そうして心身を病んでしまわないか心配になる。

 今日もまた善意で移動写真を挙げてくれた選手のアカウントに目を逸らしたくなるような言葉があった。最近はSNSでファンが選手を攻撃することがある。青柳選手が意見を呈したこともあった。
 野球だって、仕事だって、結局は人間のやっていることなのだからうまくいかないこともある。先のことなど分からない。

 対して、一昨日の木村昇吾さんの解説は、9表2アウトになっても「まだ決まったわけじゃない、分かりませんよ」と繰り返していた。試合中も終始選手の良いところにフォーカスを当て、改善すべき点については「もう少しこうした方がよかったかもしれませんが、〇〇選手なりのいい点もあるでしょうし」と一言一言、見る人や選手に対する配慮に溢れていた。ビハインドの試合でも傷つくことなく見ることができたし、エラーからでもなぜそうなったのかなど考える余裕ができていた。昭和のおっさんたちは多分そう言う解説を「皆に嫌われないようにしている人畜無害な解説」と言うだろうが、ネット社会だからこそ、生の声で伝えるときの配慮が必要なのだと思う。

 青柳選手は「誹謗中傷はあってはならないが、それ以上のたくさんの温かい言葉が力になっている」とSNSで表現していた。

 何年ぶりかにレターセットと84円の切手を購入した。ファンレターというものを書いてみようかと思う。