私にとって豊かに生きることは、多くの多数派からすると「ヤバい」生き方なのかもしれない。
普通のひとが金をとることを貢献としてやってこれたのは「親」の教育だけでなく、
本当の「愛」を知ることが、実はとても早かったからかもしれない。
いちどもほめられずに育ち、いつも
もっともっと、と生きる中、多感な時期を終え、それなりに沢山のことを経験するうちに
ひとつの商法がみえた。
勘というものだろうか。
①病気をうちあける
②不幸をはなす
③身内などの他界をはなす
この3つのどれもが、フォロワーを増やしたり、購入者が増やせてしまう。
つまり、「お金」を稼いだり、
「人気もの」になる「武器」になることに気が付いてしまった。
だから、私はこの3つの状態のとき、
あまり目だった形で商いをしない。
というか、商いをしようとも思わない。
むしろ、包括的なことができそうな小さな現場にゆく。現場には沢山のひとがいる。毎日泣きながら生きている。
また、ワシの場合自己内部を磨く為に、
①②③の状態のときは、
蓄積のために時間を使う。
これは私の生き方なので、ひとに
すすめようとは思わない。
けれど、幼い時期に命とわかれた経験があるひとなら、わかってくれるだろうし、わからなくてもいい。
わたしの弱々しかった心はもう、
そんなに柔くないから、どうぞ
好奇の目でご覧ください。
すこし
箸休めとして、閲覧時間を減らしましたし、すこしずつSNSをはなれて俯瞰しています。
まぢまぢみると 吐き気がして
むしずがはしるから(*☻-☻*)
自己顕示欲が強すぎるひとが多すぎて、耐え難い、と。
日本人のよいところが...
こうやってなくなるのか、と。
大人が子供の手本になっておらず
子供じみたひとが子供を教育し
子供にものをうりつけるための宣伝やみてもらうための宣伝をしながら、子供をトンデモナイ方向にもっていってしまっていたり。
誰もがお金持ちなのではないし、
行けないひとがいること、買えないひとがいること、いろんな気持ちを考えてみると、なんだか、SNSって変。
「みてみて」がTVや映画より自分のやりたいようにできて、
やっていても、気持ち悪くなってきた。
ツイッターが不快すぎてここにいます。
面白いひとがいるから(*☻-☻*)