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相手に敵意は無いのに見えないから闘ってしまう可能性について

会話をしている時に
二元論を基に相手の話を聞いていると
相手は敵なのか?それとも味方なのか?
という視点で聞き
整合性を常に確かめ
嘘が無いか確認
本当だと自分が感じた情報のみを受け入れ
自分が話している事に対して
肯定してくれていれば安心
否定されれば不安を抱き。。。

とにかく忙しい

事に気付きました。

会話をしているのに
話の本質なんか割とどうでも良くて
自分が譲れない事に対して
相手はいかに寄り添ってくれるか


愛を測る会話


はとても疲れると思いました。

そして、はっとしました。
これ、【イデオロギー】じゃないですかね?

例えば相手は「自分も相手も自由に
言いたい放題話している情況」

を楽しんでいるだけでわざと「反論」してみて
楽しみ方を広げているのかも知れないのに
私が【正しさを証明する事】
に夢中になっていると何が起きるか…?


私の中のセンサーがピピッと反応して

「敵」

を感知するわけです。
異常発見!
異常発見!
この人は私に賛成してくれません。

【だから敵】です。
と…そんな時に何が起こるか?

どちらも「悪くないのに」
お互いにお互いの反応によって
傷ついて悲しくなる

という事になるのではないか?と思ったのです。

相手は「楽しみ方を広げよう」
と思って反論してみただけなのに、

それを私は「私の意見を否定された」
と受け取り、

「私の意見に同意してくれない
という事はこの人は私を理解してくれない
勘違いし更に
「私を理解してくれないという事は
私を本当は
愛してくれていないのかも知れない
不安が大暴走すると…

悲劇のヒロインの出来上がりです。


一方、
相手の心はどうなっているかというと…
自分が「楽しみを広げようとしたら」

相手が「悲しそう」になり、
関係が気まずくなり
戸惑いを感じ、
相手にたずねてみるけれど
何だかよそよそしさを感じる…


さっきまであんなに楽しかったのに…
何故だか分からないから
混乱して
何だか自分まで悲しくなる
という事が
起こり得るかも知れないと思いました。


そして双方に共通するのが
「話さなければ良かった」
という後悔だった場合

どんどんお互いに
話をするのが怖くなるのかも知れない
と思いました。

じゃあ、どんな視点を取り入れるか?と考え
相手には相手の考えがある。
それは私が理解できないものでも
大好きな相手の「カタチ」なら
それがあなたの意見」って認めてみよう。

でもそれは、
私の意見を変える事には繋がらない
相手が
全てを理解する事を求めるものでもない

要するに

お互いにお互いの主張があるけど、
私達の愛には関係ないよね

って思ったらめちゃめちゃ楽になって
会話が楽しくなったのです。


で、話を深めていく内に
その「視点の違い」が
すれ違い」を生む可能性
がある事に気付いたのでまとめてみました。

最後まで読んで下さって
ありがとうございました🙇💕

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