#2 あゆむのターニングポイント
なんか違う
幼い頃から、まわりにずっと違和感を抱いてきました。「なんで」、「どうして」を家族、学校の先生、まわりの友達に問い続けていた僕をめんどくさいやつだと思う人ばかりだったでしょう。
僕の「なぜ」、「どうして」に答えになっていない「答え」を返し、僕がそれを指摘すると 怒る、ごまかす大人たちに何もできない、何も変えられない自分の無力さを感じた。
どうせわかんないんだろ
だけどわかってほしい
どうせ誰もわかってはくれないと思いながら、わかってほしさに、まわりの注意をひこうと必死だった。家族、学校、友達。いろんな人に迷惑をかけた。納得していない社会の中で毎日を過ごすことがただただ辛かった。
そんな小中学生時代を送った僕は、環境を変えてみようと思い、同じ中学から進学する子が少ない遠めの高校に進学。「勉強も部活もがんばるぞー!」と思っていた僕。でもまた
なんか違う
学校の方針、先生の考え方、友達の考え方、毎日がなんか違うの連続。
学校やめたい
高校2年の秋、母親に打ち明けた。学校に行くのがとにかく嫌で、学校に行く回数も減っていった。勉強にもついていけない、部活もやる気が出ない、まわりも嫌だ。そんな僕に母親は、休みたい日は休んでいい、進学クラスから他のクラスに変えてもいいからと学校をやめずに環境を変えようと伝えられた。休んでもいいと言われたので、学校を休みまくった僕はやることがなく、筋トレと趣味のギターばかりやっていた。そんな僕に対して、何も言わず遊びに連れて行ってくれた兄貴の存在は大きかった。そんなある日、妹と従兄弟に運動を教えることになった。本屋で本を買いあさって、ノートに記録をつけながら、子供でも楽しみながら運動能力を向上させるにはどうしたらいいんだろうと試行錯誤した。効果はすぐに現れた。子供ってこんなにすぐできるようになるのか。子供ってすごい。子供の運動能力の研究がしたい。もっと運動を好きだと思う子供でいっぱいになってほしい。そのために大学にいこう。
高校3年の夏、そこから受験が終わるまで毎日10時間を超える勉強をした。高校最後の体育祭、文化祭いろんなものを犠牲にしながら、第1志望には受からなかったものの望んでいた大学に入学。楽しみにしていた大学生活。はじめての一人暮らし。色んなことが楽しみで仕方なかった。授業がはじまり、友達ができ、思った。
あ、なんか違う
まただ。またこの違和感。なんで僕はいつも、どこにいても満足できないんだろ。うまく噛み合わない。子供の運動能力の研究に対する関心もなくなっていきました。そこからまた大学に行く回数が減っていき、ただぼーっとする日、1日中寝てる日が増えてきた。大学やめたい。そんな時、通っていた美容室Mioの2階で鍋やるからおいでよと誘ってもらった。そこでアイデア研究所のメンバーでもある南澤晃さんと出会った。
ひかるさん「あゆむくん、夢ある?」
僕「社長になります」
今思えば、ここが僕の歯車が噛み合った瞬間。
ターニングポイントです。
何の社長になりたいとかもなく、ただ普通の会社に就職してもまた違和感を感じることだけはわかっていたから、それなら自分が納得できる社会を作りたいと思って出た一言。
普通なら「そうなんや。いいね」で流してしまうようなこの超曖昧発言にひかるさんは「いいやん!」「それで?」「なんで?」とすごく深くきいてくれた。
そこから毎月美容室に行くたびに担当でないのに毎回「最近どう?」と聞きにきてくれるひかるさんに対して毎回同じことを返している自分。何も進んでいない自分。どんどん進んでいくひかるさん。
俺めっちゃださいやん。
そこから必死にもがきました。色んなことをはじめました。
そしたら仲間ができました。
モヤモヤがなくなりました。
生まれて初めて、自分が自分でよかったと思えました。
ひかるさんはじめ、本当にまわりの人のおかげで今の僕があると19歳になった今思えます。
(他にもターニングポイントはたくさんあるのですが、多すぎるので今回はこの話をピックアップしました。また他の機会に喋れたらと思います。)
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