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【さ】「相模野編年」

【さがみのへんねん】

                            高屋敷飛鳥

相模野台地における石器群の最初の編年で、矢島國雄と鈴木次郎によって1976年に提示された。東京都野川遺跡の層位的出土資料を軸にして小田静夫らが提示した「武蔵野編年」に対し、神奈川県月見野遺跡群の層位的出土資料を軸にし、通称「相模野編年」と呼ばれる。編年は5段階変遷で、Ⅱ期とⅣ期はその後1978年に前半と後半に細分されている。現在も編年の大枠として有効である。各時期の概要は下記のとおり。なお、第Ⅰ期と第Ⅱ期前半は1978年の論文発表当時は資料が少なく詳細不明であったが、その後該当資料が確認されている。

※ 冒頭の写真は、相模野台地の柏ヶ谷長ヲサ遺跡(海老名市)の発掘グリッド(1981年)。下は、相模野台地の層序

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第Ⅰ期
1出土層位:L5層下部以下
2特徴:相模野は詳細不明(武蔵野:チャートを主要石材とする小形の剥片石器と、砂岩・粘板岩・安山岩などの石斧、礫器類)
3石器組成:―(武蔵野:剥片の一部に粗雑な加工を行った揉錐器、削器、ナイフ状石器、石斧、礫器など)
4剥片剥離技術:―(武蔵野:不定形剥片剥離技術。石刃技法は不明瞭)
5主な石器群:―(武蔵野:中山谷遺跡Ⅹ層、西之台遺跡Ⅹ層、武蔵台遺跡Ⅹb層)

第Ⅱ期前半
1出土層位:L5層上部~(B4層)
2特徴:相模野は詳細不明(武蔵野:局部磨製石斧を含む石斧がみられる。ナイフ形石器は加工が粗雑だが、基部加工、一側縁加工、二側縁加工、部分加工などほとんどの形態が出揃う。)
3石器組成:―(武蔵野:ナイフ形石器、台形様石器、石斧など)
4剥片剥離技術:―(武蔵野:①石刃を目的的剥片とする剥片剥離技術、②楕円形の大形剥片を目的的剥片とする剥片剥離技術)
5主な石器群:―(武蔵野:高井戸東遺跡Ⅸ・Ⅹ層、鈴木遺跡Ⅸ・Ⅹ層、武蔵台遺跡Ⅸ・Ⅹa層、下里本邑遺跡Ⅸ層)

第Ⅱ期後半
1出土層位:(L4層)~B2L層下部
2特徴:石斧がみられなくなり、ナイフ形石器を始めとする小形の石器が豊富にみられる。ナイフ形石器は前半期に比べて増加し、精緻な調整加工が施される。二側縁加工が最も多く、一側縁加工、基部加工は少ない。二側縁加工は石刃あるいは石刃状剥片を素材にする場合が多い。礫群が登場する。
3石器組成:ナイフ形石器、掻器、削器、彫器、揉錐器、礫器、磨石、敲石など。
4剥片剥離技術:①石刃を目的的剥片とする剥片剥離技術、②楕円形の大形剥片を目的的剥片とする剥片剥離技術。
5主な石器群:寺尾遺跡B3層上面(第Ⅵ文化層)、橋本遺跡L3層(第Ⅴ文化層)、地蔵坂遺跡B3層中位・上面、月見野ⅣA遺跡B2層下底

図4相模野第Ⅱ期後半(鈴木・矢島1978)

第Ⅲ期
1出土層位:B2L層上部~B2U層
2特徴:ナイフ形石器主体。ナイフ形石器は基部加工と切出形が多い。掻器は拇指状(円形)が多く、削器は鋸歯状の調整が多い。遺跡が爆発的に増加し、礫群が普及する。
3石器組成:ナイフ形石器、尖頭器様石器(角錐状石器)、掻器、削器、揉錐器など。また、国府型ナイフ形石器が伴う場合がある。
4剥片剥離技術:①単設打面石核から同一方向へ連続的に剥離し、先細りの逆三角形の石刃を目的的剥片として剥離する技術。②三角形や扇形など多様な剥片を目的的剥片とする不定形剥片剥離技術。
5主な石器群:上土棚遺跡B2L層上面、小園前畑遺跡B2L層上面、地蔵坂遺跡B2U層中・上部、月見野ⅢC遺跡B2U層中部、上草柳第2地点遺跡B2L層上部(第Ⅱ文化層)、柏ヶ谷長ヲサ遺跡B2L~B2U層(第Ⅹ~Ⅵ文化層)


図5相模野第Ⅲ期(鈴木・矢島1978)

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第Ⅲ期の礫群の層位的出土事例 海老名市柏ヶ谷長ヲサ遺跡 (上下の礫群で30~40cmほどのレベル差がある)

第Ⅳ期前半
1出土層位:L2層~B1層中部
2特徴:発達した石刃技法と、その目的的剥片である石刃を素材とした多量のナイフ形石器によって代表される。石材は黒曜石が少なく、凝灰岩、チャート、粘板岩などが多用される。ナイフ形石器は二側縁加工が最も多く、次いで部分加工が多い。少数みられる槍先形尖頭器は中形木葉形が主体で、先端部の一側縁にファシット状の剥離痕(樋状剥離)を残すものが特徴的にみられる。掻器は石刃を素材とした先刃式の掻器がみられる。
3石器組成:ナイフ形石器、掻器、削器、彫器、揉錐器、石刃、磨石、敲石など。また、新たに槍先形尖頭器が加わる。
4剥片剥離技術:両設打面石核から石刃を連続的に剥離する「砂川型刃器技法」(戸沢1968)が代表的
5主な石器群:寺尾遺跡L2層(第Ⅳ文化層)、中村遺跡B1層下部(第Ⅴ文化層)、下鶴間長堀遺跡B1層下部(第Ⅲ文化層)、栗原中丸遺跡B1層中部(第Ⅴ文化層)、橋本遺跡B1層中部(第Ⅲ文化層)、月見野Ⅰ遺跡B1層下部、月見野ⅢA遺跡B1層中部、月見野Ⅱ遺跡B1層上部、本蓼川遺跡L2層

図6相模野第Ⅳ期前半(鈴木・矢島1978)


第Ⅳ期後半
1出土層位:B1層上部~上面
2特徴:前半に比べて槍先形尖頭器が量的に増加し、ナイフ形石器の形態組成が多様性を示す。石材は黒曜石を多用する。石器群によって打面を残置する幅広二側縁加工のナイフ形石器を主体とするものと小形幾何形ナイフ形石器を主体とするものの二様がみられる。槍先形尖頭器は前者の石器群に多く伴い、ナイフ形石器と同じ剥片剥離技術によって得られた剥片を素材とする。小形木葉形を主体とし、片面・周縁調整が多い。
3石器組成:ナイフ形石器、槍先形尖頭器、掻器、削器、彫器、揉錐器など。
4剥片剥離技術:「砂川型刃器技法」がほとんどみられない。黒曜石の角礫を用い、90度、180度の打面転移を繰り返し行い幅広の縦長剥片剥離を行い、打面調整や打面再生はほとんど行われない。
5主な石器群:月見野ⅣA遺跡B1層上面、寺尾遺跡B1層上部(第Ⅲ文化層)、深見諏訪山遺跡B1層上部、月見野上野遺跡B1層上部(第Ⅴ文化層)、中村遺跡B1層上部(第Ⅳ文化層)、代官山遺跡B1層上部(第Ⅳ文化層)、下久沢山谷遺跡B1層上部(第Ⅱ文化層)

図7相模野第Ⅳ期後半(鈴木・矢島1978)


第Ⅴ期
槍先形尖頭器を主体とする石器群と細石刃を主体とする石器群の2種類がみられる。後者はより後出的な様相を示す。礫群がみられなくなる。
①尖頭器を主体とする石器群
1出土層位:L1H層~L1S層
2特徴:槍先形尖頭器が圧倒的な量を占める。L1H層上層と下層で更に若干違いがある。下層では尖頭器は中形・木葉形の両面調整が最も多いもののバラエティが大きく、上層では細身・柳葉形の両面調整が多く小型の周縁調整がみられバラエティが小さい。
3石器組成:槍先形尖頭器、ナイフ形石器、掻器、削器、彫器など。
4剥片剥離技術:単一の打面から一方向に剥片剥離を行うもの、複数の打面をもち90度の打面転移を頻繁に行うものなど、第Ⅳ期後半の剥片剥離技術と共通。
5主な石器群:月見野ⅢA・ⅢD遺跡L1H層中部、月見野ⅣA遺跡L1H層上部、月見野上野遺跡L1H層下部(第Ⅳ文化層)、中村遺跡L1H層(第Ⅲ文化層)、下鶴間長堀遺跡B1層上面(第Ⅱ文化層)

図8相模野第Ⅴ期(1)尖頭器石器群(鈴木・矢島1978)

②細石刃を主体とする石器群
1出土層位:L1H層~L1S層
2特徴:細石刃と細石刃石核。細石刃石核は野岳・休場型(形状が角錐形・半円錐形で打面調整等の調整が顕著。黒曜石をはじめチャートや凝灰岩など)と船野型(形状が船底形。調整はほぼ側面の調整剥離のみ。凝灰岩・チャートなど使用(黒曜石は用いない))がみられる。船野型が後出。また、代官山遺跡が最古の様相を示す。
3石器組成:多量の細石刃、削器、礫器、使用痕ある剥片、細石刃石核など。
4剥片剥離技術:細石刃剥離技術。
5主な石器群:代官山遺跡L1H層上部(第Ⅲ文化層)、柏ヶ谷長ヲサ遺跡L1H層(第Ⅳ文化層)、上草柳第3中央地点遺跡B0層下部(第Ⅰ文化層)、上和田城山遺跡B0層下部(第Ⅱ文化層)、上草柳第1地点遺跡B0層中部(第Ⅰ文化層)報恩寺遺跡B0層上部、月見野上野遺跡B0層(第Ⅲ文化層)、下鶴間長堀遺跡L1S層下部(第Ⅰ文化層)、上和田城山遺跡L1S層中部(第Ⅰ文化層)

図9相模野第Ⅴ期(2)細石刃石器群(鈴木・矢島1978)


参考文献
矢島國雄・鈴木次郎1976「相模野台地における先土器時代研究の現状」『神奈川考古』1、1-30頁
鈴木次郎・矢島國雄1978「先土器時代の石器群とその編年」『日本考古学を学ぶ』(1)、154-182頁
戸沢充則1968「埼玉県砂川遺跡の石器文化」『考古學集刊』4-1、1-42頁

※図の出典は全て鈴木・矢島1978、写真は柏ヶ谷長ヲサ遺跡遺跡提供



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