【い】 岩井沢遺跡
岩井沢遺跡 【いわいざわ いせき】 旧石器電子辞書
【位置と立地】
岩井沢遺跡は、山形県西置賜郡小国町大字元諏訪1番地に位置している。現在の小国町総合スポーツ公園の付近にあたる。
小国盆地に囲まれた小国町の市街地(小国駅を基準)から約400m離れている小国盆地東縁部の海抜150m程の横道面と呼ばれる低位段丘形成中の層から石器が出土した。
(トップの遺跡発掘の遠景写真は、渋谷孝雄氏提供)
発見の記事
【発見と調査】
遺跡の発見は、1972年、日本重化学工業株式会社小国工場で職員用の体育設備整備のために段丘崖の一部を崩した際、付近を踏査していた小国高等学校野口一雄教諭によって確認された。以降、小国高等学校郷土史研究部で最も多くの石器が採集された崖の上に2×6mのAトレンチ、4×3mのBトレンチを設定して当時山形大学の加藤稔講師を担当者として 発掘調査が8月6日から9日までの3日間にわたって行われた。
小国高校の調査ではBトレンチから約1,000点の石器が出土したが、遺跡の重要性に鑑み、山形大学教育学部歴史学教室考古学準備室によりBトレンチの隣接地を10×5mに拡張する発掘調査を盆明けの20~25日まで実施した(加藤編 1973、渋谷 2021)。遺跡の総発掘範囲(発掘面積)は62㎡であり、出土数は1,188点であった。
Ⅰ:表土層・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・30㎝
Ⅱ:灰白色粘土層・・・・・・・・・・・・・・・・・30㎝
-遺物包含層(文化層)-
Ⅲ:灰白色粘土層・・・・・・・・・・・・・・・・・58㎝
Ⅳ:青みを帯びた灰白色粘土層・・・・・・・・・・・50㎝
Ⅴ:黄白色シルト層・・・・・・・・・・・・・・・・26㎝
Ⅵ:黄白色礫層・・・・・・・・・・・・・・・・・・22㎝
Ⅶ:橙黄色砂礫層(段丘礫層)
岩井沢遺跡の発掘調査 (渋谷孝雄氏写真提供)
【石器群と位置付け】
遺跡の遺物包含層はⅡ・Ⅲ層の境界であり、出土された石器には基部加工ナイフ形石器などのトゥールやその素材である石刃、石核、台形様石器とその石核、他剥片・破片などがある。岩井沢遺跡出土の遺物においては、特に石刃と石核の数多が接合できた。石刃に石核が接合した資料、接合資料同士が接合するものなど数点の接合資料がある。これらの接合資料から「岩井沢遺跡には石刃技法を持つ石器製作技術があり、岩井沢遺跡が石器製作地の特徴を持つことを意味する」と判明した(加藤編 1973)。
岩井沢遺跡における石刃技法は人頭大くらいの頁岩の原石から作られる。打面調整はなく、直方体に粗割りされた素材から後退しながら石刃が剥ぎ取られていく良好な資料である。また、大形剥片の腹面を作業面として横方向に連続的剥離を行い台形剥片を取り出し、二次加工を加えて製作する米が森型台形様石器(米ヶ森技法)もある。台形剥片・石器の製作技術は原報告では見落としていたが、1991年にうきたむ風土記の丘考古資料館の開館に伴う展示資料調査を行った際に、その存在が確認され報告された(渋谷2007・2009)。この流れにより、岩井沢遺跡における再検討が行われた。その結果、後期旧石器時代の前半期に属する遺跡であることが明らかになった。
しかし、多数確認された石刃や台形剝片に対してナイフ形石器や台形様石器などのトゥールは極わずかである。そのため、岩井沢遺跡は狩猟具や加工具の素材を製作するため使われたキャンプサイトと推測される。
他にも、遺物包含層では炭化物も採取したが、放射性炭素年代測定で11,730±840Yrs,B.P.(GaK-4559)という結果を出した(加藤編 1973)。しかし、加藤稔は岩井沢遺跡の石器群はより古く北関東の岩宿Ⅰや磯山などに並ぶ古めの石器群だと考えた(加藤編 1973)。今現在でも岩井沢遺跡の石器群はおよそ3万年前の古い石器群であると考えられる(渋谷 2021)。
このように、岩井沢遺跡の編年問題は未だ定まれず、以降の研究で解決しなければならない課題である。
岩井沢遺跡の接合資料
【最近の研究】
筆者は学部の卒業論文をはじめ、岩井沢遺跡に関してかつての先行研究をまとめほか実験研究を進めている(金 2020・2021)。特に、岩井沢遺跡の豊富な接合資料が存在しているにも関わらずその製作技術は未だ明確にされてなかった。
詳しくは、旧石器時代における「間接打撃」テクニックの存否を検討することを目的とし、以下のような石器製作実験を試みて、岩井沢遺跡の石器群との比較検討を行った。石器製作実験と遺物資料との比較を行った結果、岩井沢遺跡の石器群は硬質石製ハンマーによる「直接打撃」の可能性が高いことが分かった。また、トゥールや台形石器など他の石器にも同じく硬質石製ハンマーによる「直接打撃」の痕跡が確認されており、このことから岩井沢遺跡の石器群は全般的に硬質石製ハンマーによる「直接打撃」というテクニークにより製作されたと考えられる(金 2020)。
東北大学大学院 金 彦中
岩井沢遺跡の接合資料
【参考・引用文献】
会田容弘 1992 「東北地方における後期旧石器時代石器群剥片剥離技術の研究-接合資料をもとにした剥片剥離技術分析の試み-」『加藤稔先生還暦記念 東北文化論のための先史学歴史学論集』pp.209∼292 加藤稔先生還暦記念会
加藤稔・米地文夫・渋谷孝雄編 1973『山形県岩井沢遺跡の研究-小国盆地の旧石器時代-』山形考古学文献刊行会
金彦中 2020「旧石器時代に「間接打撃」テクニックは存在したのか:実験石器製作と岩井沢遺跡の石刃技法との対比から」『Communications of the Palaeo Perspective:旧石器時代研究への視座』1 堤隆編 旧石器基礎研究・次世代育成研究グループ
佐藤宏之 1992『日本旧石器文化の構造と進化』柏書房
渋谷孝雄 2007 「展示資料解説」『第14回企画展示図録 旧石器から日向へ-大きく変わった環境と文化-』pp.83 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館
渋谷孝雄 2009 「山形の旧石器」『日本考古学協会2009年度山形大会研究発表資料集』pp.17∼32 日本考古学協会2009年度山形大会実行委員会
渋谷孝雄・石川恵美子 2010 「東北地方」『旧石器時代』-上- pp.309∼353 稲田孝司・佐藤宏之編 青木書店
渋谷孝雄 2021 「旧石器時代の小国町」 令和3年度特別テーマ展「小国小国町の考古学」関連講座配布資料 山形県立うきたむ風土記の丘考古資料館
藤原妃敏 1983 「東北地方における後期旧石器時代石器群の技術基盤-石刃石器群を中心として-」『考古学論叢Ⅰ』pp.63∼90 芹沢長介先生還暦記念論文集刊行会 寧楽社