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#12 海の上の美容部員

客船はネイビー(海軍)の系譜と関係があるのかそうでないのかは定かではないが、規律正しく、細々としたこともすべて規則で決まっている。

船内のヒエラルキーは明確かつ厳格で、
オフィサー(マネジメントクラス、医療チーム、シンガー、ピアニスト、通訳)と、

スタッフ(カメラマン、カジノスタッフ、スパチーム、我々セールスチーム)と、

クルー(ホテル・レストラン部門)

はそれぞれに、食堂も、使えるランドリー(洗濯部屋)も、入れる客室エリアや使えるレストランも分かれていてる。
ちなみに食事は3食と夕方のお菓子と夜食、という充実具合だ。

船ルールは数え切れないほどあった。

・全クルーにはコードがあり、報告などはコードで行う(私はCB-18だった。スパイみたいでかっこいいと思っていた)
このコードが書いてあるIDで、乗下船や、船内の飲食、買い物は全ては記録されており、キャビン(部屋)の鍵にもなっている。

・港に着岸していても、船内に残っていなければならない最少人数は決まっており、各セクションで下船できないクルーがいる。
(降りたい港の日に、その担当になったクルーは、同じセクションの誰かに20ドルくらいで役目を代わってくれと頼むことがよくある。頻繁にあるので、その代行業を副業としていたベテランクルーもいた。)

・ノーエクスキューズ(問答無用)でキックアウト(クビ)になる振る舞い
1. 暴力 2.ドラッグ 3.人種差別 4.泥酔(飲酒は禁止ではない)

・ネズミ、ダニ、ノミ、見慣れない虫などを見つけたら、すぐに報告する。
感染症には特に敏感で、レッドレベルという警戒態勢下では自室のトイレ以外は使えなくなり、私のいた化粧品売場では全てのサンプルを撤去し、店内を1日に数回消毒した。
(船内は常に乾燥している大きな密室だ。昨年春に連日放送されていた、パンデミックの起こったプリンセスクルーズの混乱は想像すると痛ましい。)

などなど、言い出したらキリがない。

よく、船内の恋愛模様はどうだったのかと聞かれる。
個人差はあれど、同僚は24時間顔を合わせて、仕事をして、食事をして、ともに外出する。
共有している時間が圧倒的に長いからか、カップルは山のようにいる。

カップルになると、どちらかのキャビンで同棲を始めたり、破局して戻ってきたりする。
なので、各キャビンに実際に住んでいるクルーと、名簿の名前は一致しないことがよくある。 

カップルではなくても、元々のキャビンメイトと喧嘩をしたとか、少しでも広い部屋がいいとか、喫煙者同士がいいとか、それぞれの事情で皆気軽に交渉をして、部屋を移動する。
どうせ誰も大した荷物はもっていない。

我慢をする前に交渉することを私はここで学んだのかもしれない。
言わなければ、損をすることは日常茶飯事で、自分の給料が契約より少なかった時はすぐに言いに行った。

恋愛で言えば、船内不倫のことを“シップライフ”と呼んだ。
船には陸とは別のライフがあるらしい。
船内の不倫に関して言えばいちいち反応しないくらいカジュアルな話題で、陸に家庭のあるクルーが船内で可愛い恋人をつくることはよくある。
彼や彼女の下船のたびに船に残る恋人は涙を流して別れを惜しみ、その夜はクルーバーでウイスキーのショットを飲みながら、“This is Ship Life”と言うのだった。
そう思うならやめれば、というのは野暮で、

恋愛は既婚だとか未婚だとかはどうやら無関係で、ことシップライフに関しては、物理的な距離はもちろん、あるいは心理的な距離も陸のものよりも近いのかもしれなくて、
陸でも頻繁に起こることが、物理的に分断された海で起こるのはより自然だった。

客船ではたらく、ということは生活というかその期間の人生がまるごと仕事であり、プライベートであり、それを区別したい人や、時々ひとりでお酒を飲みたいような人には絶対に向かない。
ひとりで飲みに行っても、10秒後に話しかけられて、30秒後に二杯目のビールをおごられる。

楽しそうに聞こえるが、ひとりになる時間がないことや、船の閉塞感はメンタルに効いてくる。なにより、クルーである間の8か月間、1日も休みの日がないことは、肉体的よりも精神的にくる。人間関係にも逃げ場がない。
もちろん、楽しいこともあるし、世界中の港町を見ることができる。

船のことを何もしらなかった私は、だんだんとその生活に慣れていった。
乗船から2週間もたつと、海が荒れても船酔いもしなくなった。(クルーはこの2週間を過ぎると、一生船酔いをしないらしい。)

毎朝9時に船のアーケードに上がって、その日のターゲット(目標売上金額)を聞き、12~13時間の間に、そのターゲットにヒットさせることをミッションとしていた。

仕事が終わるとジムで走り、毎日泥のように眠った。船が揺れるとよく眠れた。
毎晩、眠る前に少し、ロンドンが恋しくなったけれど、ノスタルジーが追いつけないくらいフィジカルな疲労が、泣くより早く眠りにおとしてくれた。

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