てめえの辛さなどてめえでなんとかしやがれバーカ。(だらだら書いてみたシリーズ)
気付いたら、俗語に言う「彼氏」が出来ていた。
そろそろ出来て3週間が経つのだろうか。分からないけれども日数をカウントするのも面倒だ。
「付き合うと言う事の定義がわかんない」とか「好きな人がいたって私は私のまま何も変わらない」とか「付き合って別れる日が来るのが怖い」とか、いくらだってそんな逃げの科白は出てくる。それは今も勿論、私は何も間違った事を言っていないと思っている。付き合って別れる日が来るのが怖い、だから、付き合いたくない。もう、傷は付きたくない。だから彼氏とか、欲しくないって言い聞かせてきたけれども、当然欲しい気持ちは嘘じゃない。欲しいと言うか、「年齢を考えたら」そろそろ欲しいなあと思うところで。「この年齢のくせに彼氏の1人2人いないってどういうこと?」と言う周囲から寄せられる、重く冷たいプレッシャーを捏造して、それに私が踊らされているだけなのかもしれないが。いずれにせよ、いまのまま、元あいかただけを追いかけ続ける心の動き方だけじゃいけないと言う自覚はあった。此処から先に生まれるものに、期待はできないから。(勿論会いたいけれど。)チャンスさえ巡り合ってくれれば他の誰かと付き合いたい気は無いわけじゃなかった。っていうかあった。
さて、私は、自分自身が恋愛脳であること(好きな人がいないと落ち着かない状態)を自覚していて、それが明後日の方向に向いた時に派手に傷付かないようにするために、下手くそな理論武装重ねて、だったらむしろ恋愛から距離を無理矢理置こうとしていた。でも、自分で勝手に好きになったり気になったり、会いたがってみたりする分には、無論それなりの辛さでいっぱいになるけど、自己制御が効く。相手がこっちを向かない事には、事の置きようが無い。自分がただただ自分の勝手な思い込みで辛いと思っているだけで終わる。そうやって、毎日毎日、辛いな寂しいな、会いたいな、と言う気持ちを、どうにかして殺して行く、日々。そういう日々を重ねて生き耐えていた。だってこの辺、自分の辛さ寂しさ会いたさなんつう自己満足の自分のことしか考えていないような感情なんて、友達恋人家族問わず、誰かに言ったところで、言われた側がまず困るじゃないですか。困らせたくはないと思うから、相手がいようがいまいが、極力は自分で殺す。飼い殺す。チョコレート食べて気持ちを飛ばすとか、鬱ブログ書いて気持ちの墓場を作るとか、友達とアッパーなLINEするとか、手段は結構身近なところにある。
別に彼氏が出来ようが出来まいが、感情の殺し方についてやっている事は大して変わらない。結局自分の辛さとか、寂しさとか、意味分からない混乱とか、そういうのって、相手が何とかしてくれるものではないじゃないですか。デートしようがセックスしようが、そんなもの、醒めてしまってひとりきりになれば、やっぱり私はひとりなんですよ。ひとりでいる時間の方が圧倒的に長いんですよ。だから当たり前の事、自分の根底に刺さった問題(私の場合だと、ADHD持ちの点・ネガティブ思想からくる生きづらさ)なんて、そんなもん私が面倒みてやるに他ないのだ。ただ、もしかしたら、相手はそんな生きづらさに、少しだけ妥協点を示唆してくれるかも知れないけどね。
◇
「みるくちゃんが悩んでる事なぁ。それなあ、俺も考えたことあるけど忘れちゃった。だけど、そういうのって結局、俺が何を言おうとみるくちゃん自分で気付かなきゃ、変わんないっしょ?」
付き合って3日目だかそれぐらいに、私が言われた一言。これだけは忘れていない。
◇
まずは、みるく氏の理想の彼氏スペックをぱっと5つ上げた時に出てくるのが、
*自分より年上(3つ上以上だとなおよし)*フリーランサー若しくは編集者などの業界の人 *煙草吸える *お酒飲める *更に言うならMARCH以上の大学を出ている
と言う、いかにも外面だけを重要視したスペックなのだが、これはもうずっとここ何年か位同じような事を思っていた。年上と言うのは、コレだけ好き勝手言って置いても、甘えられる対象が欲しいことの現れだし、フリーランサーその他の部分は、元あいかたに起因し、転移しているのと、私が書く事への念を捨てられないから。酒と煙草と大学のあたりは私の好みの問題。同じ大学出身の人ならなおうれしい。
そうやって思っていたら、幸か不幸かラスト1つの記述を除いて後の4つの条件は全部クリアしてる人と付き合う羽目になった。先に言っておけば根底は暗い人だし、別に顔もかっこよくない。まぁそんな人とじゃないとまず出会うところからもスタートはしないだろう。そんなもんだ。とりあえずMacbook広げてコーヒー目の前に煙草吸ってればかっこよく見える補正が掛かるのでそこは許容しよう。
然し、自分の掲げたスペックをクリアした人に、「実は好きだった」と言われ、私の中ではしばらく混乱が止まらなかった。私も出会った時にこの『スペックだけで』この人いいかも。と思っていたのは言うまでもない。あと初対面の時気を遣われてたよね。然し、私が「みるくちゃんのことが好きだった」と相手に好意を向けられる側になるとは誰が予想しただろう。散々飲んで酔っ払ってその先ラブホテルにいたとしたって、それが「好き」の気持ち「付き合いたい」の気持ちと直結するわけがない。「ヤって終わり」の線の方が高いんだから。それなのに。
時間が増すごとに混乱も増し、「もう私の側に近寄らないでください、傷つけそうになるから」と相手に言いたくなった。そもそもが「私の事を好きになる人なんて、何処か頭のネジが飛んでいる人だから、きっと一緒にいてもろくな事が起こらない」と思ったりもしたし、「こんな私の事を好きだとか言う時間が無駄だし、好きになられるだけの価値なんて無いから、早く目を醒ましてほしい」とも思った。自分が選んで自分が「好きです」と言う分には構わない。ただ、相手に「異性」といった視点で好意を向けられる事に猛烈な違和感と嫌悪感を抱いて仕方なかった。
でも、そればっかりに縋って、そればっかりで相手を拒絶して自分の殻にこもる選択を取ったところで、これからの私にいい事はあるのだろうかとも考えた。異性としての「好き」はよくわからないけれども、一緒にお酒飲みに行って、おしゃべりする人としては「好き」だった。スペックの話しかり。「あー。△△さん、飲みに行きましょうよ~」と言って、飲みに誘いたい男性は何人かいるし、でも別にそこに恋愛感情は挟まない。そういう感覚の「好き」で止まっていたというよりも、止めていた。嫌いじゃない、寧ろ好き、じゃあその「好き」はなんの「好き」?と言うか、「異性として」のたかなしみるくに何の価値があるのかさっぱり分かんない。「好き」だと言われても何かを私はあなたに返すことが出来ない。拒絶はできないししたくない、殻にこもるのは簡単かもしれない、でも、今そうする気はない。だからこそ、言われるだけ、まだ戸惑っちゃうよ。
・・・
と言うような話を直接持ちかけた。
「別れ話じゃないです、まず別れる以前に付き合ってる感覚も無いので、別れられませんし。」と正直に添えて。
それだけ言ったらヒカれるかなぁと思ってはいたのだけど、どうやらそうでもなかったようで、返されたのが「変わらないでしょ?」の言葉だった。「変わらないでしょ?」と言うから「あー。無理っすね、変わんないですね」とはっきり答えた。
(この瞬間に、「あ。この人でも大丈夫かも知んない」と思ったのだけれども)
だって変わりたく無いもん。傷つかないための下手くそな理論武装、だってそれめっちゃくちゃ愛おしいもん。恋とか愛とか恋人とかセックスとかデートとか、全てに(要らない)定義を付けて、それに倣わない感情はすべて排除して。全ての行動に意味を付けて、意味を持ちそうもないものはそれまた排除して。え?ふたりきりで一緒にいる時間?そんなもの無駄な時間だね、なおさら完璧に避妊をしたセックスであるならば、そこに発生するのは空しさだけだね。セックスさえしないならば、お前ら何してるの?そこで埋めた寂しさも一体感も、ひとりになれば全部なくなるぞ、そんな事の為に馬鹿じゃないの?だったらまだ風俗のほうが生産性がある、金が回るよ、とかね。自分の中に湧き立つ、寂しいとか辛いとか会いたいとか、そういう感情は自然な感情かも知れないけれども、実に不快な感情。だったらまだ性欲で片付けたい。とかね。何年も何年も積み重ねてきた、自己保護の為の下手くそな理論武装なんてそう簡単には手放せない。彼氏が出来た1人出来た、だ か ら な ん だ ? そう簡単に自分の根底は変わらない。ネガティブさで塗り固められた根底なんてそう簡単に変わっちゃいけないでしょう。だっていつ別れるかもわからないのに。自分と最後まで付き合って行くのは、自分なんだし。自分の気持ちは、自分で守らないと、いけないんだし。
そんな風にいつもいつでも苛々して不機嫌だった。誰に言われても変わらないからこそ、我が道を突き進んで苛々して不機嫌だった。この思考回路を持っているだけで不機嫌だったのにもかかわらず、相手と会う回数を重ねるごとに、身体を求められることのみならず、(これはわかりやすいからまだ許す)街中で手を握られたり、好きだって声にして言われたり、一緒にいたいと言われたり、自分が散々に意味が無い意味が無い見ていて腹が立つと言い聞かせてきた行動が、身に降り注いでくる事になる。その場では凌げるけれども、ひとり翌日の通勤列車で感じる苛立ちは地味に私の心を突いていく。それは相手に対する苛立ちというよりも、自分の固めてきた思考と、自分が取っている行動に大きなギャップがある事に苛立っていた。「どうしてこんなに無意味な事を受け入れちゃうんだろう」って。
ただ、客観的視点、世間の視点から見れば、「恋人同士が手を繋いで街を歩く」「好きだと言いあう」「抱きしめあう」なんてそんなもんテンプレ中のテンプレだから、そういうテンプレの中での行動を取っているに過ぎない。だから相手にそういう気持ちがあったとしても、それを頭ごなしに否定する気も無い。だけれども、私の中にはそんなテンプレはないし、寧ろそんなテンプレは、あとあとの傷になるから捨ててきた。捨ててきたはずの物をまたどっかから持ち込まれても、扱いに困るじゃないですか。
◇
「みるくちゃんはさぁ、東京都心で働いてて、肩書だけは理想の彼氏がいて、実家にも恵まれてて、有名大学卒業しててさあ、傍から見たら幸せそうなのに、それなのになににそんなにルサンチマンを持って生きてるの?」
余りにも私が不機嫌そうな顔をして、世の中を悲観的に見過ぎるものだから、こんな質問もされた。まあ、そんなルサンチマン、相手には関係の無い事なんですけれども。私が私に感じるのは、今の私の存在が苛々してむかつくんだって言う事なんだけれども。 だってむかつくんだもん。
こんなに卑屈で、自分に自信が無くて、顔も可愛くない、スタイルがいいわけでもない、頭は悪いし、気が利かないし、仕事はできない、確かに頭がいいと言えばいいけれども、間違った方向にベクトルが伸びている。その癖プライドは高くて、非を認められない。過去には心身が荒れていたし、今も何時再発するか分からない。自分の長所なんて冗談でも無く何も無い。可愛げ?そんなもの何処かに置いてきたよ。弱さ?弱さしかねえからこそ自分で自分の感情を制御しなくっちゃ。もう大暴れして誰かを派手に傷つける過去はごめんなんだ。
こんな私が誰かに「異性として好き」だと言ってもらえてるってさ、それは無いよ。そんな価値も無い人間が、人並みの恋愛して、人並みの「シアワセ」とやらを享受していることに苛々しているんだよ。これが他人だったら嫉妬と嫌悪の気持ちでいっぱいになる。「何でお前みたいな女に男が出来るんだ」とぐちゃぐちゃ思う。その気持ちが今まさに、自分自身にも向いている。如何して私に?って。これはいつ叩き落されても、もう自己責任だからねって。叩き落された時に、周りは嗤うだけだからねって。身の程知らず!この身の程知らずが。って、嗤うだけだからね。思うんだ。どうしてこんなに卑屈になるんだろう。しかも「恋愛」と言うジャンルだけにおいて!もう此処に自分がいままで克服できなかったコンプレックスが凝縮されているとしか私は考えられない。自分でもこの苛々の根源に気付いてしまってから、急に虚しくなってきた。「全くもってみるく氏の言う事は正しい」と言い張る私と、「いや、みるく氏、それはいくらなんでも自分のこととはいえ言いすぎじゃないか?」と懐疑する私とが現れている。今までは「たかなしみるくVS世の中の定義付け」みたいな、ある意味仮想敵相手に自己保護の為の闘いをしていたのだけれども、ここまでくるとそろそろ「たかなしみるくVSたかなしみるく」の潰し合いになってしまう。事実自分の現状に対して苛々はしているのだが、それを緩和していいのかどうかの識別が付かない。もう此処までなってくると早く溶けて消えていなく無くなりたくなる。
それでも私は少しずつ、「特に何も考えないでふつーに付き合う事」がどんなもんなのかと言う経験を踏んでいる。自分に足りない経験は、出来る時にしておいた方がいいだろうと言う気持ちで。若い時に留学に行きなさい、本をたくさん読みなさい、と勧められるのと同じで。だから相手への愛情とかそんなものはない。そんなものはない、わけではない。だって基本的に私は恋愛脳で、性欲が強いのだもの。
「今すぐに会いたい、会いに行きたい、私の事を抱きしめて、大好きだよって言ってよ。」
その刹那を押し殺しながら、私はキーを叩いている。その刹那を押し殺すために。そんな瞬間瞬間、過ぎ去ってしまえば過去の物。だってそんなこと言われても困るでしょう?私だって同じ事言われても困るよ。
此処まで書いて再認したが、もう、私の思考回路は、綴られた文章の中でしか華が開かないのね。逆に言えば、文章の中では、華を開かせていいのね。女子会でなんてまず通用しないな。こんな思考回路。何処の誰に相談するにもできないから、ここぞとばかりに、文字に起こす。
「今が一番幸せな時だね。」客観視したらそうだね。確かに幸せな事は認めるよ。心から一度認めるよ。でもね、その裏側でもがき続ける自分の姿まで、なかったことにしたくはねえんだわ。意固地になるなとか肩の力抜いてとか、好きな人の前では馬鹿になっていいんだからとか、そうかもしれないね。でもそうじゃないんだよ。
幸せな刹那を得る代わりに、また1つ自分の手にしていた理論武装が狂って行く。手放していい理論と、手放したくない理論と、手放せない理論と。それがだんだんと明らかになって行く。特に手放せない理論に関しては。
本当に可愛くないな。でも私からこの考え方を排除したら、一体何が残るんだろうか。こんな文章書いている間に、「会いたいよ」って言うべきだったのだろうか。