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天鳳の技術⑨(流局際ラッシュと諦めない精神)

皆さんは上図の手牌を見て、どう思うだろうか。東1局からつまらない手が来た、そんな印象を持ったのではないだろうか。私もそう思っている。しかし麻雀というゲームを成立させるには牌を一つツモり、また一つ切らなければならない。フリーであれば中盤くらいまで代走してもらい、その間に窓の外でも見ながら自分の将来についてでも考えていればいいのだが、そこはネット麻雀。切らなければツモ切りを強要され、たちまちハイエナのような天鳳民に餌食にされてしまう。というわけで、とりあえず南を切って様子を見ることにした。

場況は一気に飛んで、9巡目。まだこの牌姿かよ、と思っただろうか。私もそう思う。早く手を進めたいが、この状況で字牌を切ってしまっては後で手詰まりして内臓まで食われてしまう、ということで8索切り。この手で普通に進めても愚形の2600聴牌止まり。なら守備寄りに打ったほうがいい。だがその8索に下家からポンの声。さて、まだ張っている様子はないが、この後どうしていこうか。

3巡後、5索引き。手を広げるなら字牌や5索打ちだが、もう終盤に差し掛かるところで自分の手牌も3シャンテン。天鳳において、終盤で3シャンテンからの危険牌押しはコロナの時代においてマスクなしで欧米のクラブパーティーに参加するほど無謀なこと。ドラは大体見えているので高打点に振ることはなさそうだが、念には念を入れて下家には通っている2索打ち。

その2巡後、下家から4萬が打たれたが、これは鳴いた方がいいのだろうか。ちなみに前巡の8筒はスルーしている。

鳴いても2シャンテンではあるものの、安全牌は白、中があり、6筒や8筒も準安全牌。流局までのツモ数を考えれば守備面も問題なさそうなのでポンの声を発するのが正解。特に終盤に差し掛かると、聴牌者から鳴ける牌が飛び出ることは少なくなく、たとえ2、3シャンテンだったとしても安全牌がある程度足りているなら鳴いた方がいい。またドラも増えた終盤での鳴きは、他家に対して牽制の意味を持つことも大きい。自分の聴牌チャンスを広げること、相手の打牌を制限して聴牌させないこと、それを比較的安全にできるなら、ここは鳴くべきなのである。流局際のラッシュと言ってもいい。

ちなみに前巡の9筒も鳴いてもいいとは思うが、まだアガリが遠い段階で下家に危険な6筒を押すのは少し前に出過ぎな印象。また4、5萬を鳴くのもこの時点では難しそうなので8筒はスルーがベター。

続いて5萬も下家から飛び出しポン。カンが入り、新ドラも乗って満貫手に変化。さらに次巡、望外の7筒を引き、残り1巡でようやく聴牌した。その後、、

下家から4索が打たれ、あの配牌からまさかの満貫和了。結果的にはとてもラッキーな一局となった。

さて、今回は満貫和了という最高の結果となったが、聴牌取りだけでもその価値非常に高いことは言っておきたい。さらに今回はほとんど(特に下家に対しては)危険牌を1牌も切ることはなく和了をものにすることができた。

流局際(最終盤)は非常に特異な状況である。もうそこに「回し打ち」という手段はなく、聴牌者から鳴ける牌が出ることがそれまでよりも多くなり、自分が仕掛けた時は聴牌していない相手に対して(自分が聴牌していないとしても)牽制力が高くなる。そんな状況で、もし自分の守備に比較的余裕があるならたとえ和了が少し遠そうでも仕掛けるメリットは十分にある(例え聴牌が見えなくても、牽制のためだけの鳴きだってある)。逆に言えば、それまでにある程度安牌を貯めておけば、最終盤で守備を確保しながら一気に攻め込むことができるのである。

流局際でのラッシュ、それは野球において8回までは相手ピッチャーに完全に抑えられていたのが、9回にピッチャーが変わると一気に反撃しサヨナラゲームになるような気持ちよさがあるのだ。聴牌が遠いからといって早々に諦めてしまってはそんな気持ちよさは一生味わえない。

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