天鳳反省録⑭(無筋牌より危険な筋牌)
こんにちは。久しぶりの実戦記事となりましたが、いかがお過ごしでしょうか。記事を書いていなかった間は、ひたすら天鳳を打ち込んでいたり(おかげで10段になりました😇😇😇)、麻雀戦術本をまとめていたり(そのうちレビューできれば!)、株式投資を勉強したり(ボロボロ…😥😥😥)したんですが、一段落ついたので少しずつ書くのを再開したいと思いますのでよろしくお願いします!
麻雀のセオリーというものは先人の強者から現代のプレーヤーに伝えられてきたものもあれば、現代になって新たに発掘されたものもある。最近では統計データを活用しながら古いセオリーを否定したり、逆に肯定したりもしているが、一つのセオリーを細分化して、「このセオリーはある特定の状況においては正しいが、また別の状況においては間違っている」というようにセオリーが複雑化することも珍しくない。その代表的な例が「筋」に関するものだろう。
「筋は無筋よりも比較的安全」というセオリーは昔から言われていて、実際に多くの状況では正しいと言える。しかし最近のセオリーでは「筋でもリーチ宣言牌の筋である場合は安全とは言えず、むしろ危険牌の一つ」という結論でほぼ決着している。しかし、である。「リーチ宣言牌は危険牌」というセオリーを実戦で応用するならば更に踏み込んだ考察が必要となる。例えば自分の手が満貫聴牌で、相手のリーチ一発目に宣言牌の筋牌を持ってきた場合は、切らずに回るのが正解だろうか。もちろんそんなことはなく、基本的に自分の手に価値があるなら宣言牌の筋に限らず比較的危険な牌でも切るのが正しい選択だろう。
しかし、である。巡目や点棒状況、そして相手の捨て牌によっては切らないという選択肢を取るべき状況もある。
状況は南3局の2着目の西家。上より下の方が近いため、あまり打点にこだわらずにスピード重視で行きたいところ。また相手が攻めてきた場合には無理せずオリることも重要。そこでもらったこの手牌。無理にホンイツにすることはないが、自然にホンイツにもなりそうということで、とりあえず9索から切っていくことにした。
そして3巡目に南が重なる。ホンイツへ行きたいが、無理は禁物ということで素直な東切り。あくまでスピード重視で進めていく。
そして6巡目、南をポンして中を切るが、それを対面の親がポン。親に連荘されても困るので、捨て牌が濃くなるまでは押すつもり。萬子の下が対面と下家には通りそうなので守備力もある程度確保されていて、現時点では安全牌を抱える必要もなさそう。
そして7巡目に4萬をツモり、自然にホンイツに行ける手牌に。ただポンテン、チーテンは当然取るつもりでいた。
その後2萬をツモ、そして上家も仕掛けを入れてきた11巡目、發をツモり2筒切りでホンイツ聴牌。親もまだ聴牌とは言えなさそうな河ということでしばらくは3900点で押すことにした。
地獄の發は掴めば確実に出る!またここで3900点をアガればラス落ちの可能性がかなり低下する、そんな思いが強すぎたのだろう。ここで事件が起こる。そう、下家からのリーチ。そして、、、
一発目に掴んだのは8筒。筋か、、。3900点テンパイだし、2枚枯れでシャボもない。何より捨て牌が少し変で、七対子の可能性も高そう。となれば、、、
一発放銃の8000点。筋の当たり牌を一発で掴むなんてついてない…と思ってしまいかけたが、そう思っていては成長などない。そう、これは避けるべきひどい放銃だったのだ。
その理由は何か。まず点棒状況。自分が3着目ならまだしも、2着目なら満貫を振ると一気に2→4になってしまう。また巡目も重要で、終盤に差し掛かったこの局面、確かに地獄待ちの發で和了できる可能性もあるのだが、相手が和了する可能性も下がっていて、また2枚枯れでもリーチしてくる可能性は上がっている。流局でも悪くない点棒状況である以上は無理に攻める必要などなかった。
そして最も重要なのが相手の捨て牌。まず234が切られた河で5筒切りリーチ。他の中張牌もたくさん切られていることから、このリーチは変則手の可能性もありそう、、だが、メンツ手ならば8筒は本命の一つなのである。フリテンは抜きにして、5筒をギリギリまで保持したい手組みといえば、5筒がアンコの場合に加えて、556778の形、577(←ただ7が2切れなのでなさそう)、そして最も可能性が高い形としては579の形。そう、牌理的に8筒は絶対に切ってはいけない牌で、自分の和了への誘惑に負けた放銃であった。
もし自分がラス目で手牌も満貫だったら、もしこれがまだ5巡目の出来事だったら、もし相手の捨て牌に筒子が1枚も捨てられていなかったら、8筒を切ることはそれほど否定されるものではないかもしれない。しかし、この点棒状況と場況で、8筒がやって来たのならそれは場に放つべきものではない。
「筋は比較的安全」というセオリーが複雑化して、「宣言牌に関しては危険」という新セオリーが生まれた。しかしこのセオリーも麻雀界の常識になっている今、そのセオリーの中にも押し引き基準を設けなければならない。それは一冊の本に収まるほど抽象化することはできない。つまり一人一人が、座学と実践を通じて少しずつ積み重ねていき、それが「経験則」や「第六感」、あるいは「強さ」として今後の麻雀で活かされていく。自分はもうこんなミスは絶対にしない。みなさんはどうだろうか?
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