テングのおと
天狗とはミサキ(とここで呼んでおく)であったのではなかろうか。
天狗には大別して鼻高天狗、鳥天狗がいる。
まず、鳥はトビ、カラスの天狗。トビもカラスも日本神話においてさきぶれ、さきばらいとして出てくる。金鵄、八咫烏である。
日本神話において有名な先ばらいといえば猿田彦。鼻高の先導。
別に鼻高の先導に伎楽面の治道は行列の露払いを担う。治道は伎楽面の中で最も鼻が高い。
また、天狗は多くは山伏の身なりであるが、山岳登拝者の道案内役の山伏を先達と呼ぶ。
さて、ではなぜこれらの先ばらい、先(前)ぶれ、先導がテングなる呼び名がつけられたか。
横道満里雄・片岡義道監修『声明辞典』の 奠供師の項目に「伝供師。伝供とは仏前に供物を伝送する所作のことであり、法要の主たる部分に先立って行われる。(中略)奠供の讃を先唱する役が奠供師で、比較的若い僧が勤める。」とある。法要のさきに、さきに唱えるものがテングシというわけである。
狂言の大会は助けられたお礼にと高僧に天狗が釈迦の説法の幻を見せるも帝釈天に懲らしめられると言う話である。
これにどことなく似ている話が本朝神仙伝にある。東寺の僧が夜叉に祈って夜叉によって昇天しかけるも夜叉が四天王に出会い僧を捨て逃げ去り僧は墜落してしまうと言うものがある。暴論だが大会と根源を同じくしている話なのでないかと思う。
ここでの夜叉はあの世への先導である。
夜叉とは仏教においては仏や神などよりも下位ではあるが人間よりも上位の存在を言ったはずである。
ここで想像を逞しゅうしてこの夜叉は仏教以前の信仰された存在であったとしたなら、仏教側からはそれは夜叉としか表現できなかったのではないだろうか。
さてこの夜叉とされものとその信奉者たち、もしくは祭祀者たちを安易に山伏であったと言ってしまうのは乱暴ではあるがそれに近いものだったのではないだろうかとしておいて話を進めたい。信奉者たちは仏教の勢力の拡大浸透後どうなったかについてまた想像を逞しゅうして、二つを挙げてみたい。一つは仏教に近づきながらも自ら蔵王権現という神格を生み出し信奉した。蔵王権現と飛行夜叉の像はよく似ている。また一つは夜叉王こと毘沙門天の元へと集ったのではないだろうか。
毘沙門天は鞍馬寺の本尊である。鞍馬の天狗との関わりについてはここでくどくどしく述べない。
五来重がこの鞍馬寺の山伏は声明などをする怖い存在であったと何かで書いていた。うろ覚えだが。
鞍馬寺は日本おいて声明を集成し融通念仏宗の祖に擬せられる良忍の修行したとされる大原来迎院に割と近く融通念仏(宗ではない。ここでは)との関わりの深い寺である。
と、これらのことをいい加減に鑑みてミサキ(先ぶれ(前兆)、先払い、先導)がテングと呼ばれるようになったのでないだろうかとの珍説を唱えたい。終わり。
参考
修験と念仏: 中世信仰世界の実像 上田さち子
聖伝-RG VEDA- CLAMP
室町ごころ 中世文学資料集 岡見正雄