固有の美意識

書評_027
固有の美意識
松川研究室B3 村松美怜

書籍情報

著書:陰翳礼讃 ー陰翳礼讃ー
著者:谷崎潤一郎
出版社:中公文庫

本書評は、谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』の概要を述べ、理解を深めるとともに、固有の美意識についての意見の共有を図るものである。

『陰翳礼讃』で谷崎は「暗さ」「陰」の魅力をメインテーマとし、伝統文化を起因とする日本独自の美意識について、西洋と比較しながら論考を述べている。


「陰」の魅力


谷崎が高く評価する「陰」の魅力は、大きく3つに分類することができる。

1. ストーリー
2. コントラスト
3. 余白

1.ストーリー
東洋でも西洋でもスズリ製の食器が使われることがある。使い込むうちに錆がついてきたのに対して、西洋ではピカピカに磨き上げ、東洋では決して磨かず、むしろその古色を愛する。
このように曇りのない輝きに、衛生的な清潔さや真新しさとしての魅力を見出すのではなく、むしろ使い込まれた痕跡からその物語を読み取り、それを温かみとして受け取ることができるという点で「陰」は魅力的である。

2.コントラスト
ご飯は白いプレートに盛られるよりも、漆の米櫃に盛られている方が、お米の艶が強調され美味しそうに見える。また金色の刺繍が施された着物などは、全ての装飾もはっきりと見えるような白々とした明るい照明のもとで見るよりも、かろうじてシルエットがわかるくらいの薄暗い空間で見る方が、その繊細な輝きが際立つ。
このように繊細な美しさを浮かび上がらせるという点で「陰」は魅力的である。

3.余白
漆の器に注がれた”お吸い物”や羊羹は、それがどのようなものであるか、どのような味であるかが、口に運ぶまで分からない。口に入れたあとも、この味の正体はなんなのか、どんな食材が使われているのか、と推理するワクワク感がある。
体験するまで実態がわからず新鮮な体験ができる点、さらには答えのわからない中であれこれ思い巡らせる余白があるという点で「陰」は魅力的である。

平安時代の”お歯黒”や、女性の顔を隠すための衝立も、これらの考えを持って説明することができる。それぞれ”お歯黒”は白く艶やかな肌を際立たせるために、それ以外の部分を闇に紛れ込ませるという意味でコントラストに、衝立は女性の顔やシルエットをぼかすことで言葉遣いなどから滲み出る知性などから、女性のイメージを推測せざるを得ないという意味で余白に分類される。


建築における陰影

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続いて、谷崎は建築の分野にも「陰」の概念を持ち込み、その魅力を力説する。
日本の住宅における屋根は、強い日差しを遮るために軒が長くつくられるのに対し、西洋においては風雨を凌ぐためのものとして、箱のような住宅に蓋をする形でつくられる。
ただしこの特徴は、日本人の「陰」を大切に思う感性の表れであるとは言い切れず、当時の日本の建設材料や技術の制約により、むしろこの暗さを受け入れるしかなかった可能性も考えられる。そこで谷崎はこう述べている。

美と云うものは常に生活の実際から発達するもので、暗い部屋に住むことを餘儀なくされたわれわれの先祖は、いつしか陰翳のうちに美を発見し、やがては美の目的に添うように陰翳を利用するに至った、事実、日本座敷の美は全く陰影の濃淡に依って生れているので、それ以外に何もない。
(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』p.31-32)

つまり、いずれにしても日本人がこれらの住宅から「陰」の魅力を見出したことに変わりはない。さらに以下のような比喩表現によって、薄暗い日本家屋の中でもその濃淡が重要であることを示している。

もし日本座敷を一つの墨絵に喩えるなら、障子は墨色の最も淡い部分であり、床の間は最も濃い部分である。
(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』p.34)

障子や襖や壁など、異なる素材で部屋を仕切り、光を通したり通さなかったり、反射させたりさせなかったりを繰り返す中で、「陰」の濃淡がつくられていく。このようにして幾重にも和らげられた光は、直射日光とはまるで異なり、外部空間との切り離された非日常のような印象を与えうる。

ここまで数多くの例を挙げて説明してきた日本人固有の美意識について、谷崎はこうまとめている。

われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。(中略)われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明暗にあると考える。(中略)しかしわれわれは見えないものを考えるには及ばぬ。見えないものは無いものであるとする。
(谷崎潤一郎『陰翳礼讃』p.48-49)

物理的な存在に美を見出すのではなく、「間(ま)」に美を見出すのが、日本人の美意識である。それは目に見えないものに救いを求める信仰心に似ているようにも感じるが、それは正しくない。正確には、ないものを信じるのではなく、ないこと自体を魅力的だと感じることが、「陰」の美しさである。

谷崎の主張は、「暗い方が良い」「西洋の文化は日本には合わない」といった懐古主義ではなく、真新しいものや煌びやかなものを全面的に良しとする文化に対して、必ずしもそれだけが美ではないのではないかと一石を投じるものである。


固有の美意識


以上の内容を受け、多くの人が一般的に好まないような少数派の美意識について、掘り下げることの興味深さを感じた。
近年では、数年前までダサくて近寄り難いと考えられていたヲタク文化も、徐々に層が拡大し、今では”推し活”と呼ばれ流行にまでなったように、なにを良しとするかという判断軸は時代や地域などによって簡単に変わりうる。つまり世の中には絶対的な美しさがあるのではなく、ただそれぞれが持つ性質を、そのときの流行に則ってジャッジしているだけであるので、時代や地域などが変わる中でも揺るがずに好きでいるものに向き合うことで、自分ならではの美意識を見つけることになるのではないだろうか。

一例として、本書評の筆者は、一般的に「天気が悪い」と表現される雨の日をとても好んでいる。傘を差していても体が濡れることや、ヘアメイクが崩れること、交通機関が遅延することなど、嫌われる理由も理解できるが、雨の日を好む理由には、雨の音やにおい、そして視界がうっすらぼやける感覚を挙げることができる。この感覚の根幹に向き合うと、自分はせかせかした生活よりも、思うように進まず少しぼやけているくらいの穏やかな感覚を求めているのかもしれないと気づくことができた。

このような人には理解されづらいが揺るがない好み、そしてその根幹にある美意識を共有したい。


参考文献


陰翳礼讃 in praise of shadows
https://youtu.be/tSvnP7B0PE8



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