書評ーSD選書『B・ルドフスキー / 建築家なしの建築』

書評_07_26
松川研究室
環境情報学部1年 
高橋紗里

書籍情報
発行日 1984年1月25日(第一刷)
    2011年1月25日(第十三刷)
著 者 バーナード・ルドフスキー(著)
    渡辺武信(訳)
発行所 鹿島出版会

1.概要
本書は、世界各地の無名の工匠による無名の建築の事例を多く挙げている。そして、集められた事例全体が作る「建築の多様性」と数個の文明のみを取り上げた現在の建築史との違いを問うた本である。故に、図集のような本ではあるが、数多くの事例を4つの風土的な建築類に分類して人々の暮らし方と共に解説がなされている。

2.著者について

バーナード・ルドフスキーは建築家でもあり、批評家や随筆家でもある。また、ウィーン生まれではあるが30代になると中近東、南米、イタリア、日本等の諸都市にすむ。この本は、そんな彼自身の世界各地における生活体験に根ざして書かれたものである。ルドフスキーは街や建物を視覚的に捉える以上にその中に暮らす人間の形態と生活行為を観察あるいは本人が直々に体験してきていた。だからこそ、本書では建築の形態を論じるだけではなくその場所が放つ雰囲気も共に論じている。また、他の作品でもアカデミックな観察による実体験ではなく、一市民としての視線から観察された本が多い。

3.著者の主著

著者の主著には「人間のための街路(1973年)」、「キモノ・マインド(1973年)」、「みっともない人体(1979年)」、「驚異の工匠たち(1982年)」、「さあ横になって食べよう(1985年)」等がある。その中の「人間のための街路(1973年)」では本書の事例の数個をさらに深掘りし、ルドフスキーの生活体験から得たエピソードと共に論述が展開されている。

4.要約

本書は序章と事例集によって構成されている。また事例集の中ではモノクロの建築物や景観の写真を載せた横に、誰がいつどの様にして存在したあるいは今でも存在できているのかの概要が書かれている。

序章では、B・ルドフスキー自身が持つ建築史への不満を示している。著者はこれまでの建築史に対し、「権力と富の記念碑を築いた建築家たちの紳士録みたいなものである」と主張している。そして、対象とした建築自体は世界中に散らばっているにもかかわらず歴史家の選択には偏りがありすぎたと説明した。実際に現在においても名高い建築とは共通して、権力者に向け建てられた傑作が多いという事も記述されており、市民や住民の方が大多数なのにもかかわらず、なぜか歴史では一言も彼らの住まいについて取り上げられてない事への疑問をぶつけている。そして彼らの住まいは共同性に基づいて生活する中で生み出された貴重な芸術だとも追記している。

また筆者は建築を、専門家によって生まれた芸術と全住民の共同性によって生まれた芸術の2つに分けて説明し、共同芸術が生まれた後の時代に着飾った建築が誕生し始めたと時系列に沿って説明した。

本書はそんな、(建築史的に)無名な工匠が造る無名な建築である「共同芸術」を次章の事例集で数多く取り上げている。そしてそれらの建築は自然を征服しようするのではなく気候の変動や地形の凹凸を受け入れ、難ある土地に魅力を見出していたことを筆者の実体験をもとに語られている。このような、元から存在していた創造物に対して尊重するような建築を「人間性が見られる建築」と称して共同体建築が風土的な建築に変わることが多い事に関連づけていた。

そして次章の事例集では、建築史内で取り上げられなかった共同体建築を見ていく。それらには以下の4つが含まれている。
・風土的建築(洗練された少数派の建築)
(ここでいう洗練された建築とは:難ある土地でも共同性を持った住民    が彼らの伝統的な知識から編み出して建てたもの)
・原始的な建築(小屋、風車小屋など)
・引き算建築あるいはくりぬき建築(穴居、洞窟住居)
・萌芽的建築(巨大な風よけ・屋根だけでも建築と呼ばれるような建築)

私はこの中の「引き算建築」に対して特に関心を示した。なぜなら住居民それぞれが必要としているスペースのみを個々掘るため多様性に長けている体。いわば、現在では家のスペースに不満を感じると引っ越しや増築、あるいは新しく建設することが選択肢としてある。しかし穴居住宅の様な引き算建築ではスペースに困ったら横の壁を掘ればいいのであるが故に、その手軽さに面白みを感じた。また建築自体の機能性も魅力的である。夏は涼しく、冬は暖かく、獣や虫の害を知らず、地下は住居として、上は畑としての役割を持っている。しかしこのように多機能な建築は、人口密度が比較的少ない場所だからこそ可能であり、(エネルギー要素)省エネの視点からは魅力的なものの都市には適していないのではないか、と感じた。よって仮に穴住居が年に滞在していたらそれは完全に目的にかなっていなく、改善の余地があるため洗練された建築ではないし風土的な建築にもなり得ないと見た。(本書では)風土的な建築とは徐々に改善されていく様な流行的な建築とは違い、元から完全にその土地に適応している建築のことを指しているからだ。

5.議題

そして今回の議論では以上の「風土的な建築」に関連付けたい。上記に示した穴居住宅は都市では風土的に成り得ないものだと述べた。しかし都市という流行の波が激しい場所に風土的な建築を建てることはできないのかを議題にしたい。この議題は極端な話の上で成り立っているものだが現在の近代建築がこれから建てる建築にはどの様な改善の余地が秘められているのかを整理する機会を設けてみたいと考えた。議題に対しての答えが「不可能」であるのとすれば、都市のどの要素や住民のどの生活文化を改善すれば都市に風土的な建築が作れそうかについても展開していただきたい。そして「可能」だとすればどういった建築の様式なら都市に残り続けそうなのかなどを述べて頂きたい。

今回の書評では、歴史家によって選抜された建築以外の、世界に散らばる無名の工匠達が作り上げた建築に着眼点を当てた。そしてその建築が群となり結果としてそれぞれの地域で独特な風景を作り上げていた。故に、本書は建築的な目線と都市的な目線や、特定の土地に立てる意味を建築とは何か、から見つめ直して考るきっかけとなるような本であった。

参考文献

https://www3.jeed.go.jp/chiba/college/media/2019115-152251-439.pdf

http://www.jutaku-sumai.jp/eco/pdf/20180330_3.pdf





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