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意味のない100年ゲーム
1527文字
「祭り」に例えるとよくわかるんですけど、
祭りとかって、よく神輿(みこし)を担いで、男たちがふんどし姿で、熱狂して盛り上がっているけど、あれってほんとは別になんにも意味ってなくないですか?
意味がないんだけど、参加した人ってのはしてない人よりも、絶対に終わった後、充実感を獲得していますよね。
結局、人生はそれに尽きると思うんですよね。
「なんだよ、祭りなんて意味ねーし、だりーし参加したって何になるんだよ!」と思っている人と「なんか意味わかんないけど、本気で祭りに参加してみた」って人では、確実に参加した人の方が楽しいわけですよ。
しかし、ものごとを「意味」や「価値」や「対価」なんかで計算して、やらない方が得策で、「オレはクールだぜ」側にいたほうが自分らしいって思ってるやつがいるんですよ。
でも違ったってことに気づいてきたんですよね。(遅いけど)
どうせ生きるなら、どんなことだって本気で熱狂して参加してみたほうが絶対に楽しいに決まっているんですよね。
ただただゲームするだけでも、人と話すだけでも、じゃんけんするだけでも、つまらないバイトや仕事をするにしても、熱狂しながらやったほうが絶対に楽しいしその分、充実するということです。
意味なんてあるかどうかわからないんだけど、それをどれだけ熱狂してやれるかで、人生の面白さって変わってくるんじゃないかなあ、と今は思います。
いつの頃からか自分自身で「自分はこういう人間だ」という決めつけをしてしまって、鎖に繋がれにいってる人って多いなぁと感じます。
この世は意味のない100年ゲーム。
誰に何と言われようと結局、熱狂して楽しんだ方が勝ちでしょうね。
話は変わって、
今日、会社に「旭川の凍死事件についての署名をしてください」という人が来られたんですよ。詳しくは以下の事件
この事件自体に詳しく触れて話したいわけではないですが、少しだけ。
14歳の中学校2年生の子が凍死で亡くなったと。
確実にいじめ等があり、事件に関係していることがわかっていて、しかし
その真意は隠蔽されていて、いじめ等はなかったとされている。
それに異議を申し立てて、署名活動を全国で現在100名くらいの有志の方たちが実施しているそうです。
今日は、その署名活動をしている100名のうちの1名が会社に来てくれたということです。
話を聞くと、その方はこの事件に遭われた子やその家族、身内などとの面識や関係性は全くないし、北海道と千葉県ですから住んでいる地域も全く違いますし、北海道にも行ったことすらないと。
一つの共通点としては、子を持つ親であり、同じくらいの子供がいるということだけでした。
私も子を持つ親であり、同じくらいの子供がいる、そこは共通しています。
しかし私は署名はしましたが、署名活動には参加をしていません、子を持つ親という同じ境遇でありながら。
結局、何が言いたいのかというと、
最初の話と繋がるんですけど、この署名活動も「意味があるかどうか」なんてこの時点ではわかりません。ないのかもしれません。(個人的には当然、報われてほしいです)
しかし、その方は自分の時間と労力とお金を使ってまで、本気でやっていることに、私は感銘を受けました。
その方は確実に熱狂を持って(この場合、熱狂という言葉が正しいかはわかりませんが)署名活動をしていました。
だから、やらない人より人生が豊かになるんだと思います。
意味の(あるかわからない)ない一歩が、何かを動かし熱狂を生むのかもしれません。
ご冥福をお祈りしながら、共有いたします。