【その7】家族ではなくチームとして生きる
この内容は、妊活・子どものことに関する内容です。
あくまで一個人の考えであることを理解し、読み手の気持ちを尊重してください。
毎週とまではいかないが、用事のない週末を見計らって、夫とAくんに会いに行った。
2回目の面会時に、職員さんより
「今度、ご自宅にお伺いしたいです」
と言われる。
これが私たちの初めての家庭訪問…!
施設に話を聞きにいった際、実はこの家庭訪問について質問していた。
「家庭訪問してみて、ダメだったパターンとかあるんですか?」
すると職員さんは
「そもそも、こういう週末里親というボランティア活動に手を挙げてくださる方は、ある程度常識がある方達なので、ダメということはほぼないですね…」
とのこと。
私はずっと保護猫のボランティアをしてきたから言えるけど、「ボランティア=優しい」とか「=一般常識がある」というのは、大きな間違いだな…という言葉は言わないでおいた。
以前も記述したが、お泊まりまでの流れは以下のようだと説明を受けた。
施設に1時間ほど遊びに行くのを何日か行う
この間に職員さんの家庭訪問がある一緒に数時間外出・自宅で過ごす
慣れてきたら時間を延ばしたり1泊する
週末だけでなく、冬休みや夏休みの間など希望すれば泊まりに来る
ここで新たに考えることが出てきた。
何と呼んでもらうか?
初めて会った時に職員さんから「(苗字)さん」と紹介されていた私たち。
2回目に会った時Aくんも何と呼んでいいのか悩んだのだろう。
「男の(苗字)さん!」「女の(苗字)さん!」と呼んできて、思わず笑ってしまった。
そうだよね、同じ苗字なんだもん…
私たちが事前に職員さんに話をしていなかったこともあり、2回目の面会後に相談してみた。
「私たち何と呼んでもらえばいいですかね?
みなさんどうしてるんですか?」
週末里親を希望する年代
ここで1つポイントになるのが、週末里親を希望して、施設に見学にくる年代だ。
大きく2パターンあり、
①実子が大きくなり、時間にも余裕ができた年代
②実子の妊娠を望めず、夫婦での暮らしを想定する年代
である。
このどちらのパターンも、私たち(30代前半)夫婦よりも一回り年上であることが多いため、必然的に子どもたちは「おじちゃん」「おばちゃん」と呼ぶことが多いそうだ。
私たちのように、DINKS(共働きで意図的に子どもを作らない夫婦)でありながら、子どもとの関わりを持とうとする夫婦というのが稀有な存在である。
私がどう呼んでもらおうか相談した職員さんは、私と同い年だった。
そのため
「みなさん、おじちゃん・おばちゃんなんですけど、私たちはまだ…ねぇ?」
と職員さん自身がそう呼ばれることに抵抗があるような口ぶりだった(笑)
そこで私は夫と相談し、私たちが普段そうしているように、名前で呼んでもらうのがいいんじゃないかなという話でまとまる。
夫に「なんて呼んでもらいたい?」と聞いたら「ビッグボスとかどう?」と言われたが、速攻却下した。
(スーパーとかで「ビッグボス、お菓子買って〜」とか叫ばれたら目立ちすぎる)
そして3回目の面会の時に、そのことを伝えてみた。
「私たちAくんっていう名前があるように、名前があるんだよ。
(妻フルネーム)っていうの。
こっちは(夫フルネーム)だよ。
だから好きなように呼んでもいいよ〜」
それをじっと聞いていたAくんは、その時は何も言わなかったが、後から職員さんに、
「あの人たちね(妻フルネーム呼び捨て)と(夫フルネーム呼び捨て)っていうんだって」
と紹介してくれていた。
まだ照れくさいのか実際には呼ばれていないが、果たして彼が何と呼んでくるのか楽しみでもある。
フルネーム呼び捨てで呼ばれても、それはそれで面白いし、わたしの知る男子は、そういう段階を踏む傾向にあった。
普通の家族ではなかなかできない「呼び方を決める」問題。
「ママ」や「パパ」ではなく、他の何者でもない、独特な距離感を楽しめるのは、週末里親だからこその楽しみだ。
小さなひとつひとつの積み重ねが、Aくんにとっても、私たちにとっても、大きな思い出と学びになればいいなと感じた。
友人たちの反応
このあたりにきて、私は続々と友人たちに「週末里親」をやることを個別に話し始めた。
週末里親とは何か、なぜやろうと思ったのかなど、詳しくnoteに書き記し、報告と共にURLを送った。
なぜ実際に預かる前から、報告しようと思ったのかについて、理由は2つある。
Aくんの前で説明をしたくなかった
きっとAくんを預かり始めると、誰かと遭遇したりすることもあるだろう。
その時に、Aくんの前で「週末里親の子だよ」とか「施設の子だよ」なんていう風に説明しているのを聞かせたくなかった。
きっと本人なりに思うことは色々あり、状況についても汲み取ってはいるだろうが、わざわざその説明をAくんの前でしたり、「また今度詳しく話すね」なんて言葉で、やんわり逃げるのも何か嫌だった。
ある程度、彼の存在を私の周りが認知している状態を望んだ。
全員に先に説明しておくことは難しいが、極力そういう場面に遭遇するのを避けたかった。
自分の口から説明したかった
2つめに目撃情報などをもとに、噂程度の話で伝わっていくのが嫌だったからだ。
特に「子ども産まないことにしたんだって」という言葉に、どうも悲哀の要素が大きすぎて、私の「産む気がなかった」という清々しいまでの潔さの要素がどこにもないのだ。
悲しい思いをしたからこその選択ではなく、これがあくまでポジティブな人生の選択であることを、どう伝えればいいのか悩んだが、やはり自分の綴る言葉以上に勝るものはなかった。
友人たちは皆、寝耳に水である。
「いや、産む気はなさそうだなとは思っていたけど」
と言いながら
「でもまさか、そっちの選択をするとは思わなかった」
とも続けた。
そうだろうね、私だって半年前はこんなこと考えていなかったんだから…。
誰よりも私と夫が1番、この環境の変化にびっくりしているよ…。
とはいえ、私が斜め上の選択をし続けてきた人生だというのも知っている。
「お泊まりにくるようになったら遊ぼうね〜!」
と言って、この状況をさらっと飲み込むのであった。
同年代の子どもを持つ友人が多いこともあり、みな施設にいる子どもたちの現状に衝撃を受け、Aくんの世界が広がることを応援してくれているように思えた。
(あとなんかこの状況を楽しんでいる友人すらいる)
こうして私のほうは徐々に、友人たちにAくんの存在を広めていき、実際に私たち夫婦とAくんのみで遊びに行くようになった時に、このnoteを公開しようと心に決める。
(夫の友人についてはノータッチ。いずれ会った時に報告するんとちゃうん?と思いつつ、私が公開したSNSを使って、さらっと公開するような気もする)