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0004_今後の方向性について

初めに
ベルリンに来てから、働きもせず、大学生活以来の自由な時間を過ごしている。これを書いている今も、もちろん例外でなく、いろいろ気が向いたときに文章を書いたり、スケッチしてみたり、ポートフォリオを作成してみたりということをしたり、しなかったり(しなかったり?)。
ポートフォリオに関してはやらなければという気持ちが強かったのだけど、なかなか先に進まず、めちゃくちゃに時間がかかった。いったん、完成させてみたけれど、もっと手を加えたい部分は山ほどある。でもせっかくこっちに来たので、とりあえず、働いてみたい事務所に連絡を入れるために、梗概版という形で完成させて、いろいろな事務所に送ってみた。選べる選択肢は多いほうが良いので、いろいろ送った。建築関係だけでなく、アート関係の方面にも送ってみた(これでもまだ少ないかも)。

とりあえず、こっちで建築関係やアート関係のところで働いてみるということはしてみるつもりだけれど、それとは別に、根本的に今後どう建築をやっていくかみたいなことを、ゆっくりと考えたりしていた。多分それはどう生きていくかということを考えることと同じで、分からない部分もあるし、迷うところもある。そして、ざっくりとだけど方向が決まってきたので、一度ここで、言語化してみたいと思う。

ざっくり言うと
極端に言ってしまえば、「建築のために建築する」というようなことをやっていきたい。領域としては少しアートに近いことになるのかもしれない。まだどうなるのか分からないことが多くあるけれど。でも気持ちとしては「がっつり建築やっているぞ?」という気持ちです。
純粋に。単純に。そして自分なりに、「建築のために建築する」という地平に向かって走ってみたい。けれども、建築を建築足らしめる、いくつかの建築固有の要因によって、その道は困難になりそうである。
一方、それを乗り越えるための方法もいくつか考えてみたので実践してみたい。うまく行かなければまた別の方法を考えます。
ちなみに、当たり前のことだけれど、基本的に建築は社会や誰かのために建築される。そういうことをちょっと下記に書いてみる。

ところで建築は1
建築はその始まりから、一人で成立することはない(一人でという表現が正しいのか分からない。「ひとりでに」とか、「自律的に」という意味合いです)。基本的にはお施主さん(クライアントさん)が居て始めて建築するという行為がスタートする。建築するという行為が始まった後も、多くの人々の協力の下で建築が成立する。つまり、社会の存在があって、建築が成立している側面が、十分にある(資本主義のシステムであったり、国という仕組みであったり、そういういろいろな社会を含む)。「それこそが建築の本質だ!」というご意見もよく分かる。そういうことは分かっている。
けれども、そこから少し距離を置いてみたい。

ところで建築は2
建築はそのスケールの大きさがあって、実物大での検討ができない。できないわけではないのだけど、やろうとすると膨大なコストと時間を費やさなければいけないことになる。そしてそれをやっちゃうと巨大な失敗作がたくさんできちゃう。そこで図面や模型などのツールを使うのだけれど、やっぱり今描いている線やスケールを落として作られる模型と、それらを元にして建ち現れる実際の建築物との間には大きな落差がある(図面や模型などの建築を検討するための方法は非常に優れたものであることには間違いない)。
そもそも建築は人間をまるごと覆うという点で人間の身体を超えていると解釈できる。その一方で、人間は身体機能を拡張して本来持っている力よりも、もっと大きい力を手に入れてきた存在でもある。いわゆるマーシャル・マクルーハンの言うメディア論的な考え方だ。現在、人間の身体能力はめちゃくちゃに拡張されまくっている。この点に関して、もう少し慎重に考えてみたい。身体を拡張して得ている体験や情報にはどこかに欠損(良い意味でも悪い意味でも)が生ずる。どこまで身体を拡張して、どこまで拡張しないのか。どういった拡張の仕方を選択するのか。なんのために拡張するのか。
日常生活を営んでいて、自分のコントロールの範囲内にあるスケール。手に取れる範囲の世界との接地面みたいなものが確かにある。そこから出発して、人間の身体を超えた存在である建築を、その延長線上で扱ってみたい。

ところで建築は3
建築は少なからず計画の対象として未来の時間を扱う。そこには当然、分からなさや不確実さが含まれている。タイムリープ?系のアニメなどを見ている時、「建築の設計と似ている」と思ったことがある(シュタインズゲートとか)。いくつかの並行世界があり、主人公がいくつもの平行世界を行き来する。時間軸が進み、ある過去の行為の結果としての未来を体験し、(基本的には絶望し)より良い世界を求め、時間軸を巻き戻し、行為をやり直し、別の並行世界へと移動し、また時間が進む。建築の設計もそうである。ある決定をし、その前提の上でその建築の時間軸を進める(図面を描く、模型を作る)。ある想定のもとで建築の具体性を高めていく行為と言い換えても良い。当然のようにうまく行かないことや整合が取れないことがある。その度に時間軸を巻き戻す。これから建てようとしている建築物が持つ時間軸を何度も何度も行き来させる。それを重ねた時、建築にある一定量の時間、あるいは数種類の時間が圧縮されて、1つの体系として成立する。例えばSANAAを始めとする模型を大量に作ったり、図面を大量に描いたりして検討を行う設計事務所の建築にはそれだけ多くの多様な時間が詰め込まれているのだと思う。
この「建築する」という行為に否応無しに付いてくる、時間のことも、もっとちゃんと時間をかけて考えてみたい。時間に対する感覚もスケールのお話と同様に手に取れる範囲のものがある。もしかしたら地域によっても違うかもしれないし、時代によっても違うかもしれない。1つの「建築」の始まりから終わりまで。建築に付随する全ての時間に対して、できるだけ難しい言葉を使わずに、丁寧に、触れてみたい。(ちなみに僕は沖縄出身なので、時間感覚がバグってます。これが吉と出るか凶と出るか、今の所はわかりません)

最後に
これらのことは、お互いに関係し合っていて、切っても切れない。そういう意味で建築に関する1つのことについて書いているつもりである。
まだ自分自身でも分かっていない事が多くあるけれど、おそらく、建築するという行為そのものや、何かを作るという行為自体への興味があるのだと思う。結果として、それらのプロセスへの興味がある。
まあ色々書いたけど、自分の興味を優先させつつ、「建築のために建築する」ということを人柱的に試してみたいと思うというざっくりした宣言です。
ここに書ききれなかった具体的な方法論とかはまた別でまとめてみようと思います。

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