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即興試行_0000_はじめに

はじめに
即興試行というシリーズで文章を書くことを始めてみたいと思う。

背景
これまで、文章を書く時は「書きたい!」という欲求が出てきたときに欲求に任せてバババッっと書いて、それをしばらく寝かせて、時間が経ってから、その文章の論理構造だったり、言い回しだったりを整形するという工程を何度か繰り返し、納得がいった段階で公開するという手順を踏んでいた。

この工程を踏んでいたのにはいくつかの考えと僕自身の性質からくる原因がある。大きな理由はちゃんとした読みやすい状態、読み応えのある状態で文章を公開したいというもの。欲求に任せて書いている文章は後から読むと分かりにくい部分が何箇所もあったりする。言い回しが分かりにくい部分も多いし、書きたいという欲求が先行しているが故に、自分自身の中でも論理的に整理がされていない。だから、文章全体の構造が整っていない。

もう1つの原因は僕自身の中にある完璧主義の性質。「完璧主義」に関しては色んな所で色んな人が書いていて、そのデメリットは僕自身も理解はしているのだけれど、なかなかそれをやめるのが難しい。
どういうデメリットがあるのか簡単に説明すると、「完璧主義は決して完璧に到達しない」というもの。分かりやすい調査の例がある。ある大学の課題で「質を評価する」と言われたグループと「量を評価する」と言われたグループがあって、双方に同じ課題を取り組ませた。すると結果としては「量を評価する」と言われたグループの方が「質を評価する」と言われたグループよりもその提出物の質が高かったという。
つまり、質を気にしないで、どんどん数を書いたほうが結果として、質も高まるということだ。

僕の場合、1つの文章で何かしらの「結果」や「発見」を導き出さないと読んでいてもつまらない文章になるんじゃないかという考えがあった。だから、そういった類の結果や発見らしいものが導き出せるまでは、その文章は下書きの中で眠っているのである。その結果、下書きが溜まりに溜まり、現在100記事くらいが下書きで眠っている状態だ。

決して、「完璧主義」をやめたいと思っている訳ではない。「完璧主義」の性質はそのまま持っていて、何の問題もないと思っている。完璧主義の性質を持っているからこそ気がつく細かい違いや見える視点はある。だけれども、目の前の事に完璧を求めるのではなく、もう少し視点を広く大きく持って、最終的に質の良いものをアウトプットができるように、より多くのものを取り入れたり、アウトプットしたりできるような状態に持っていきたい。
修行だ。

即興試行とは
思考にはいくつか種類があると思う。1つは「早くて軽い思考」。もう1つは「遅くて重い思考」。
早くて軽い思考は即興的にロジックを組み立てて、スピード感のある思考。軽いからその思考の効力は長時間は持続しないけれど、ここぞという瞬間的な場面で効く。
遅くて重い思考は時間をかけて、次第にその全体が形成されていく思考。それがはっきりとした形になるのには時間がかかるけれど、重いが故に長時間効力が続く。
このシリーズでは前者の早くて軽い思考を使って文章を書いていきたい。時間をかけずに素早く、即興的に書くことで、多くの数の文章を書けるようにしていきたい。

ちなみに
僕の大好きな建築家の一人にアルバロ・シザという建築家がいる。少しの期間だけだけれど、シザの事務所で働いていた経験のある建築家の設計事務所で働いていたことがある。その時にいろいろなエピソードを聞かせてもらって、今でもいろいろ記憶に残っている。その中のエピソードの1つでシザがどういう設計プロセスを経て、建築を設計しているかという話を聞いたことがある。細かい話は割愛するけれど、シザの建築の背後にもやっぱり量が質に変わるようなプロセスの存在が認められる。下の写真はポルトガルに行った時に訪れたシザの初期の建築。近年のシザの建築と比べると荒削りなようにも見える。けれども、やっぱり、シザ特有の空間構成や手付きがそこにあった。
完璧主義の思考サイクルに入ってしまったときはこの写真を見て、気持ちを切り替えたいと思う。


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