「note」、書いてみることにした。
noteに何かを表現してみようと決めた。
東京からシンガポールに移り住んでそろそろ4年が経つ。日本を出た4年前、「シン・ゴジラ」と「君の名は」が大ヒットしていた夏だったのをよく覚えている。
引越しの記憶と映画の印象が強く結びついていたためか、去年再び「GODZILLA 2」と「天気の子」が同じ年に公開されたとき、ノスタルジーを強く感じた。心地よさと同時に、故郷を懐かしむ哀愁を感じた。
さて、noteの自由度は高く、テキスト、動画や画像だけでなく音声まで保存して公開することができる。美しい写真のアルバムとして使えるし、学びの忘備録やちょっとしたメモ帳がわりにもなる。悶々としたときに日記を書くのもよいかもしれない。ひょんなことからスゴイ物ができたら、売ることも許されている。
そんなわけで、noteを自由帳として活用し、クリエーター活動のとっかかりにしようと決めた。
芸術(アート)とは、自分の内面を何かしらのカタチで表現する行為の総称でだと解釈している。有形無形は関係なく、活動そのものもアートになり得るはずだ。作品である必要はない。創造物や表出を通じて美的・精神的な価値を追求することがアートなのだ。
そしてこれはどんな方法であれ全人類がやったほうがいいとも思っている。芸術の創作は、人間が行う最もハイレベルな活動ではないだろうか。実用性のないものに価値を見出し、多様な目的役割を与え、内面(=感性)で紡がれる歴史が作られているように見える。僕にとって芸術とは、豊かな人間性を追求する活動の総称といえる。
あれ、自然がユニークなものを創り出せば、それもまた芸術だろうか?ただ、それは人の内面触れることではじめて芸術たるので、価値の追求にはヒトの感性という媒介が必要なのだろう。
そんなことをぼんやり考えるほどに、シンガポールは今日も平和です。東京はどうだろう。
トップの画像は以前セントーサ島でみた野生の"Hornbill"という鳥。 シンガポールに住むアマチュアカメラマンのMark Stoopさんが撮ったもの。
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