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「NEOかわいい」を考える
最近では巷でNEOかわいいという言葉が広まっている。拡散の発端はと言うとCHAIという四人組女性バンドだ。
NEOかわいいは広義的に、
『いつの時代も女性は勝ってに「かわいい」の枠にはめられてしまう。皆んな同じかわいいを目指すのではなく、個性(コンプレックス)を尊重して、時代の枠にはまらないかわいいを「NEOかわいい」』
と言うらしい。
しかし、NEOかわいいは皆、中学で習った平安美人に相当する言葉だと思う。平安美人は一見して美人と謳われているが平安という言葉が美人を修飾している。平安美人という言葉は平安時代に美人とされた女性の顔。例としておかめ納豆のパッケージの顔だ。
現在の美人と言われる美人像とはまるで違う。
「◯◯さんって平安美人だよね」って言われて嬉しい女性はいるだろうか。義務教育課程で習うからには中学生以上なら知っていておかしくない。更に、教養を蓄えてきた先進国の成人ともなれば嬉しいなんて思うはずがないのだ。受け取った当人は不快感を味あわざるを得ない。
これを「NEOかわいい」に置き換えてみよう。
「◯◯さんってNEOかわいいよね」
聞きなれないNEOがかわいいを修飾していることによって現代のかわいいの意味とは乖離したイメージを生んでおり、違和感を生む。
「それって、どういうこと?」と言われたとしよう。どう説明しようか。上記で述べた広義的な意味を伝えたとするとその場合、自分は褒め言葉のつもりであろうと相手に不快感を与えることはほぼ免れない。これは自分の容姿が現代ではかわいいとは認識されていないことを意味してしまう。幾ら、コンプレックスの尊重とはいえ、自分で自称するのは良いが、相手に対して断じて使ってはいけない。その場は一瞬にして修羅場と化す。
また、自称したとしても、自虐的要素が含まれてしまう。言ったとしてもそこに必ず説明が必要になり、面倒だ。
これらのことから表現者にして、発起人のCHAIのみが使えるスローガンに過ぎないのだ。
これまでNEOかわいいについて述べて来たが、仮定の話としてこの言葉によって世間が素直に喜べる日が来た時。はじめてNEOかわいいは
市民権を得たと言えよう。
CHAIの活動は無謀とも言えるが、市民権を得るための一歩なのかもしれない。